名前のない場所

2018年03月08日 16:35

名前のない場所

おりーぶ。

鳴り響く銃声。人々の叫び。爆発する音。

内戦の起きている場所から届く衝撃的な映像。

怯える男性。泣き叫ぶ子ども。笑顔を失った女性。

彼らにとって、逃げ場などない。

砂埃にまみれた使い古した服を着て、幼子を抱く少年。

彼の瞳はまっすぐにカメラを見つめる。

今にも泣きそうなほど潤んだその瞳は、驚くほど透き通っていた。

彼にとって、家は難民キャンプだ。

その場所にもはや「日常」などなく、何年か前にはそこにあったはずの景色は失われている。

子どもの笑い声。路地で談笑する声。市場でものを売る声。

その声は全て、空爆の恐怖にかき消され、日常は廃墟のかけらの中に閉じ込められている。

彼らにとって、安全な場所などない。

彼らがいるその場所に名前などなく、彼らはただ自分の明日をつかむために逃げ惑っている。

その名前のない場所で、彼らは未来を探そうと、必死になって戦火から逃れている。

大切な人や物をすべて失って、自分自身にある希望や夢や誇りをすべて失った。

何もかも失っても、「名前のない場所」で彼らは懸命に生きている。

遥か彼方にある「安全」への逃避。

求めても得られない「平和」を願う日々。

脳裏に微かに残る「笑顔」を探す日々。

誰にも知られることなく、彼らはそこで生きている。

空爆の映像が繰り返し再生され、何も手につかなくなる。

目の前が暗くなり、突如恐怖の中に突き落とされる。

PTSDと診断されたその少年は、いま安全な場所にいる。

それでも、その映像は消えない。戦争とはそういうものだ。

目の前で弟を殺され、両親は空爆の廃墟の中で一生を終えた少年。

戦火のない場所で療養を受けても、そう簡単にその映像は消えない。

何度も何度も残像がちらついて、寝ても覚めても恐怖の中に置かれる。

その苦しみを、誰が無視できるというのだろうか。

何度も何度も、再生されるその映像。

そのテープは頑丈で、決して壊れたり傷ついたりはしない。

鮮明に、そして精緻に、繰り返し放映される。

その恐怖を、私たちは知らない。

彼らにも名前があり、人生があり、大切な家族や故郷がある。

それなのに私たちは「難民」という言葉で彼らを括っている。

私たちの見上げる夜空と、彼らが見上げる青い空は繋がっている。

「名前のない場所」とここは、遠いように見えても、同じ地球だ。

彼らが心から求めている「平和」の中に、私たちはいつの間にか生まれてきた。

それが当たり前になって、彼らのことが見えなくなっている。

彼らがどんなに願っても手に入れられない「平和」の中に私たちは生きている。

その温かい海に溺れて、彼らのことをつい忘れてしまっている。

私たちはテレビを消せば、その内戦のことを忘れてしまう。

私たちはネット接続を切れば、その内戦のこととは関係ない日常がそこにはある。

温かいごはん、温かい服、温かい家。

その温もりに包まれて、私たちはすぐに「日常」へと戻る。

私たちは、目の前に迫る空爆の恐怖を、知らない。

私たちは、空から降ってくる黒い鉄の破片の怖さを、知らない。

私たちは、遠くから聞こえる爆音の戦慄を、知らない。

私たちは、この生温い温室で手を掛けられて育てられている。

手を繋いだまま地面に倒れている幼い2人の少女。

彼女たちの隣には粗末なかばんがあって、その中には粗末な教科書が入っている。

彼女たちは朝の光が照らす通学路の一角で、静かに一生を終えた。

その名前のない場所には、野に咲く花を摘み取った粗末な花束が供えられていた。

「さよなら」と言って別れた彼らが次に会える確証などない。

それはこの場所でも同じだ。

なのに、その「さよなら」が指す意味は、彼らと私たちでは違うのだろう。

その場所とここでは、違う時間が流れている。

戦争のない時代に、戦争のない国に生まれていたら。

彼女たちはきっといまも愛くるしい笑顔を振りまけていたことだろう。

もし銃弾が、空爆が、化学兵器がなかったら。

彼女たちはきっと、安心して学校に通えていたことだろう。

灯りのない教室。

そんな「学校」で懸命に学ぼうとしていたのに。

彼女たちは何かを知りたいと、わかりたいと思っていたのに。

戦争の非情さ、不条理さなんていう言葉で括れる話ではない。

私たちが生きるこの場所と、彼らのいるその場所は繋がっている。

何かの偶然が作用すれば、私たちも戦火の中にいたかもしれない。

何かの偶然によって私たちはこの安全な場所にいる。

その偶然とは何だろうか。

余震を恐れて暮らす人々。

地面が揺れたその瞬間の恐怖がよみがえり、何も手につかない人々。

そこにあるのは戦地のような「日常の破片」だ。

昨日までそこにあったはずの自分の家は、もうその破片の一部となっている。

中世から残る風光明媚な観光都市が一夜にして「被災地」へと変わった。

彼らにとってそこは愛する人や大切な思い出がたくさんある、大切な街だった。

その街で生まれ、その街で生きることを暗黙のうちに予想していた彼ら。

彼らがいるその場所に、名前などない。

この映像がフィクションで、本の中の世界で、全部嘘ならいいのにと強く願った。

この映像は驚くほど精緻で、悲しいくらいに崩れ落ちた色の白が眩しかった。

地中海の太陽が、その破片に光を与えた。

その目が眩むような陽光は、何もなくなったその街を漏れなく照らしていた。

「その日」など来なければいいと、強く願っても無駄だった。

遠い場所から流れるその映像は現実で、悲しい事実だった。

「その日」の前にはそこに何があったのか、全く何も手掛かりがない。

その場所で何があったのか、私は知りたいと願った。

破片の中に埋もれ、助けを求め続けた人たちがいた。

想像に堪えない苦痛に耐え続けた人たちがいた。

それでもその思いが届かなかった人たちがいた。その祈りが届かなかった人たちがいた。

彼らが苦しんだその場所に、名前などない。

長く暗い夜を耐え、眩しく明るい朝が来た。

その朝を迎えられずに、その狭い場所で命を絶たれた誰かがいる。

その夜の残像は、朝になっても薄れることは無い。

その夜の明るさは、誰にも言いようがない。

綺麗な星が瞬き、輝く月が照らす。

無数の星々がその街を彩り、丸い月がその街を導いている。

夕方に降った強い雨は上がり、翌日の空のページをめくりつつある。

その空の下に生きる誰かの心を、夜空は強く揺さぶっている。

その雨は涙から生まれた、無数の悲しみの雨だ。

その雨は涙とともに流れる、無数の苦しみの雨だ。

その雨は身寄りのない誰かの肩を濡らし、頬を伝う涙をカモフラージュさせる。

冷たい雨が誰かの心を、少しずつ確実に溶かしている。

「中心街には何もない」そうメディアに語った被災者がいる。

成人男性の高さほど積みあがった建物の痕跡は、見る人の心を殺めていく。

遠くに見える無残な塔の残片から、その街に朝日は昇る。

その「名前のない場所」を照らすために。

あの日、無数の叫びがその破片の中で発せられ、その破片の中で消えていった。

あの日、数多くの手がその破片の中に差し伸べられ、温もりを失った人たちを助け出した。

あの日、想像すらできないほどの涙が流され、その体育館を悲しみが飲み込んでいった。

その過程でどれだけの人の心が傷ついたかということは、考えたくもない話だ。

何もできなかった自分の無力さを責める人がいる。

自分が代わりに死ねばよかったと自分を追い込む人がいる。

たとえその街が元通りになっても、その傷は何度もうずくだろう。

その「名前のない場所」にいた人のことを想いながら。

震災から一年が経った冷え込んだ夏の夜、その街を無数のキャンドルライトが照らした。

「忘れていないよ」という言葉を、「覚えているよ」という言葉を、伝えるために。

静寂の中、ささげられた祈り。

その言葉がやがて光へと変わり、涙の雨を晴らすための太陽になる。

横断幕や遺影を持ち、あの日を忘れないために中心街を歩く。

笑った顔や泣いた顔、その思い出を忘れないために階段を上る。

遠く離れていく「あの日」と今を繋ぐ写真を胸に抱き、思い出の階段を上っていく。

「大丈夫だ」と伝えるために、最後に言いたかった「ありがとう」を伝えるために。

静かな夜に、両手を合わせて、目を閉じて祈る。

この街にまた人々の笑顔が戻るように。

この街にいたみんなの心の傷が癒えるように。

私が祈れば、その気持ちは「名前のない場所」にいる彼らに届くはずだから。

聞くに堪えない言葉を繰り返し自分に浴びせる人がいる。

その言葉がやがて鋭いナイフとなって、それが自分の心に切り傷をつけてしまうだろう。

聞くに堪えない言葉を繰り返し自分の中に抑え込む人がいる。

その言葉がやがて耐え切れない重荷となって、いつか何かの糸を切ってしまうだろう。

その切り傷がうずくその前に、その糸が切れるその前に。

誰かの温かい手が、絆創膏を貼り、その糸をたるませるように。

誰かの温かい手は、決して、お金では買えないから。

最終的に復興は、人の手で成り立つはずだから。

空高くそびえる紙のチューブでできた音楽堂。

国境を越えて愛されているパスタ。

あの日送られた数多くのメールや電話。

そういうものが、最終的にその傷を癒す薬になるのだと思う。

私たちの人生が一枚の折り紙ならば、それを使って綺麗な作品が作れることだろう。

いろいろな人とのつながりで、友情という名のくす玉が出来上がる。

大切な誰かがいることで、二羽の鶴が出来上がる。

もちろん自分だけでも、誰かのやさしさを入れるための箱が出来上がる。

突然その折り紙が未完成のままに終わってしまった人がいる。

隣にあったはずの作品が突然自分の傍から消えてしまった人がいる。

自分という紙が破れたり、折れたりした人たちがいる。

それは、もう元には戻らない。

折れた紙は元には戻らない。

その折り目が直されることはあっても、完全に元には戻らない。

壊れた。傷ついた。消えない涙が流れた。

何もかも無かったことにすることは出来ない。

愛する家族や恋人や友人を失うことは、自分の一部を失うことだ。

大切な家や行きつけのお店を失うことは、自分の一部が壊されることだ。

自分の故郷の光景が変わってしまうことは、自分の幼児期が変わってしまうことだ。

自分の一部を失うことは、自分の人生の一部を失うことだ。

何もかも失っても、それでも生きている限り明日は来る。

何もかもが傷つけられても、それでも生きている限り太陽は昇る。

それは残酷なことと思えるかもしれない。

それでも、また新しい日が来て、新しい何かが始まる。

いつか中心街に人の声が戻り、祖父の代から続くお菓子屋さんが再び客を呼ぶ。

その日が来るころに、私はその場所で静かに祈りをささげたい。

いつかその塔が時を刻み始め、復興を世界に告げる鐘が鳴る。

その日が来るまで、私はその場所を忘れずにいたい。

その鐘の音が、犠牲者を癒すことだろう。

その鐘の音が、生存者を勇気づけることだろう。

そして日常の波の中でその被災地を忘れていた誰かの心を揺さぶることだろう。

その鐘の音は、厚い雲を突き破って、空の上に届くだろう。

音楽堂で奏でられる、一夜限りのメロディー。

彼らが辛い記憶を一瞬でも忘れられるような美しく優美な旋律。

世界中で笑顔を作っている、シンプルなパスタ。

彼らの小さな街の誇りと伝統を受け継いだトマトソースの味わい。

そういうものが心と心を繋ぎ、温かい熱を生むのだろう。

そういうものが心に空いた穴を埋め、やがて新しい彩りを加えるのだろう。

そういうものが「今日も頑張ろう」と思えるような、少しだけの強さを生み出すのだろう。

そういうものが明日の希望を信じられるような、素敵な夜を生み出すのだろう。

何かできないかと思う気持ち。何かしたいと思う気持ち。

自分にできることを少しでもしようと、少しでもお金を振り込もうとする気持ち。

国境を越え、時差も距離も越え、ささげられる祈り。

両手を合わせて、青空の下で目を閉じる人たち。

SNSで繋がる気持ち。発信される祈りの声。

言葉の壁を越えてわかりあえる痛み。苦しみ。つらさ。

その祈りは、その声は、必ず誰かに繋がる。

そういったものが世界と世界の橋渡しをする、見えざる手を作るのだろう。

何かの偶然で私はここにいる。

何かの偶然で彼らの人生は変わってしまった。

私がここにいる理由は、もしかしたら必然なのかもしれない。

私にできることが、もしかしたら何かあるのかもしれない。

学校の前に供えられたたくさんの花束。

RIPと書かれたたくさんの紙切れ。

泣き崩れる生徒たち。

涙の雨は、絶えることがない。

絶えることのない涙の雨に埋もれてしまう声。

消えることのない鋭い銃声に消されてしまった声。

その声はもう、戻すことはできない。

その声はもう、その場所にはない。

「少なくとも13人が死亡した銃乱射事件では――」

アナウンサーが無表情で読み上げる原稿の中身はとても見るに堪えないものだった。

校舎を駆け巡る悲鳴。叫び声。嗚咽。

声にならないたくさんの声が混ざり合う。

悲しみ。苦しみ。くやしさ。怒り。

無念な思い。やるせない思い。行き場のない思い。

それらがすべて混ざり合い、糸を作る。

その糸が織り合わされ、やがて彼らの首を絞めていく。

思いになる前の思いが、声になる前の声が、心の中で反響音となる。

反響音は反射し、響き合い、胸の奥で何かを刺激する。

針が手を指してしまったように少しだけ痛むこの思いが、やがて心を麻痺させる。

麻痺した心は、痛みへの耐性を持ち、それは色々な感情の色を失わせる。                                                                                                

茶色の綺麗な髪をした少女は、長い指で顔を覆って泣き出した。

泣き崩れた彼女を抱き留めるように、背の高い金髪の少女が抱き締めた。

帰らぬ級友の名を呼び、その泣き声はやがて声にできない叫びへと変わる。

写真のアルバムを風がめくるように、級友の在りし日が思い出される。

その風はだれにも止められない。

もう戻ることはない日々を思い出させる。

その風を止めることは誰にもできない。

そこにあったはずの日々を取り戻すことが誰にもできないように。

感謝祭の日にごはんを食べ合い、ともに笑い合った記憶。

休日に映画を見て、ともに泣き合った記憶。

笑い顔、泣き顔、そのすべてが思い出される。

いま、ここに級友がいるように思えてくる。

執拗に、繰り返し、思い出される記憶。

拒んでも、否んでも、思い出される記憶。

その記憶を心に留めながら、もう二度とそれを繰り返さないようにと誓いながら。

「もう二度と」というそれを強く思い、それを燃料として走っている。

鳴り響く銃弾の音。

拡散される強い恐怖。

考える間もなく、ただ教室を出る。

狭い廊下を、解放へと走る。

誰かが倒れている。

息をしているようには見えない。

そこに赤い血の海ができ、もはや生命の活気を失った体が倒れている。

それでもそこから逃げるように、その海の中を走る。

もうここには危険は無いと思ったところで、ふと自然と足が止まる。

泣き崩れる。もはや感情はすべて失われてしまっている。

誰かの冷たい体に引き寄せられる。

涙の雨は、降り止まない。

――思い出される。

何度も、何度も、嫌だと言っているのに。

繰り返される。

何度も、何度も、気が付かないうちに。

授業が始まった。

学校には、あの日を思い出させるようなものは何もなくなった。

それでも、何かが足りない。

その花束がある席にいたはずの誰かの笑顔だ。

あまりにも突然で、そして悲劇的なその出来事。

悲鳴も銃声もない、平和な教室がそこにはある。

それでも彼らはいまここにいない。

隣にいたはずの彼らは、いま私たちのそばにはいない。

突然日常が絶たれるなんて誰も思ってなどいなかった。

こんなにあっけなく日々が壊れてしまうなんて誰も思ってなどいなかった。

過去の在りし日をいくら願っても、それは取り返すことができない。

思い出のアルバムはもう取り返せない。

何かの必然で私たちがここにいるとして、その必然を生かして何が出来るのだろう?

何かの必然で私たちがここにいるとして、その必然は私を何に導いているのだろう?

何かが私を導いているとしたら、その何かとは何だろう?

それを探し求めていくことが、何よりも楽しい事なんだ。

誰にも私の生き方は縛れない。

誰にも私の自由を縛る権利は無い。

たとえ国や時代背景から圧力を受けても、私の信条までは壊せない。

どんなに悲しい時代でも、私の心までは壊せない。

大切なものがある。大事にしたいことがある。

守りたい人がいる。愛する人がいる。

だから、私はこのレースを走り続けていられる。

その声援があるから、私は息切れしながらでも、走り続けていられる。

私がもしランナーだとしたなら、私はどこの組織にも属していない。

私がもしランナーだとしたなら、どこの国にも属していない。

私は「世界市民」の一部として、この星に生きる人間のパーツとして、走っている。

冷たい風を切って走っていく。それがどんなに冷たい風だとしても。

だから私は走る。

だからこそ私は走っている。

こんなに悲しい時代だからこそ、私は走り継ぐ蹴る。

こんなにつらい時代だからこそ、私は前へと走る。

どんなに悲しい時代でも、心の灯りは消せない。

どんなに悲しい時代でも、この旅路は続いている。

名前のない場所で生きる誰かを、思いっきり抱き締められるようになりたい。

悲しみや苦しみを、彼らが一瞬でも忘れられるように。

終わらない戦争。消えない戦火。

取り残されたこどもたち。

鳴り止まない銃声。

赤黒く汚れたぬいぐるみ。

思い出す。

確かにそこには、「誰か」がいたことを。

覚えている。

そこには確かに「日常」があったことを。

進まない復興。

詰みあがった建物の残片。

絶え間なく流れる涙の糸。

「そのとき」で止まったままの時計塔。

忘れない。

あの日、誰かが願った「生きたい」という切なる願いを。

忘れはしない。

あの日から景色が変わってしまった、その場所のことを。

傷ついた校舎の前で、泣き崩れる人々。

半旗を掲げた市庁舎。

献花台に供えられた花束。

繰り返しうずく残像。

分かっている。

そう簡単には消えず、プレイバックされる映像のことを。

理解している。

いつまでもうずき続ける、薄れたとしても消えることのない痛みのことを。

私の体温が、誰かの心の氷を融かすとしたなら。

私の文章が、誰かの折り紙に少しでも色を加えられるとするなら。

私が走るこの道が、誰かという名の花を咲かせるための肥料になるなら。

私という名の折り紙が、誰かの鋭利な記憶の緩衝材になるなら。

この空は繋がっている。どこまでも繋がっている。

この場所と「名前のない場所」を繋ぐ橋がある。

その橋は心の中にしか架からない。

その橋は心の中で、確かにきらめいている。

私たちが駆け抜けた旅路の完成図が、ひとつのジグソーパズルになるとしたなら。

そのピースのひとつひとつを、旅路の中で作って見つけていくとしたなら。

私が会った人、言ったこと、愛した人、知ったこと。

それがすべてピースを作っていくとしたなら。

涙の雨が虹になり、心を照らす光になるなら。

そのときには涙の雨が地面に豊かな栄養を与えるだろう。

消えない傷が癒え、それが何かを支える強さになるなら。

そのときにはその傷が自分の背中を押す追い風になるだろう。

まっさらな状態で、額だけを持って、何のピースも持たずに私たちは生まれてきた。

この旅路の途中にいろいろな色をしたピースが散らばっている。

それを拾いながら、誰かとピースを交換しながら、自分だけの絵画を仕上げていく。

誰かの言葉が、体温が、存在が、そのピースをより美しくする。

同じピースは二度とない。

だから失ってしまっては、そのパズルは完成しない。

それでも、似たような何かを見つけて、その欠落を埋めることができる。

そのとき、思い描いたものとは少し違う彩りを持った何かが完成する。

私たちが手を携えることが出来るなら、全てすぐに解決されるはずだ。

私たちが意識して、忘れないでいれば、今すぐにでも解決できるはずだ。

私たちが声を上げ続けていたなら、きぅと少しずつ世界が動いていくはずだ。

なのに私たちは、これ以上知らないふりをしていていいのだろうか?

私も、そして誰にでも、世界を動かす力がある。

70億人の地球を動かすことは出来なくても、たったひとりの人生を変えることが出来る。

この世界が理不尽で、不条理なものだというのは、もう変えられないかもしれない。

それでもその不公正の中で生きる誰かに手を差し伸べることは、私にでもできる。

私たちの沈黙が、誰かを殺めているとするなら。

私たちの無関心が、誰かを殺めているとするなら。

私たちの行動の結果で、この世界が変えられるとするなら。

私たちは、もう黙ってなどいられない。

私も、そして誰にとっても、静寂の中で悩み苦しむ必要はない。

自分の狭く暗い部屋。

その「名前のない場所」で自分自身を粉々に砕く必要などない。

その静寂を、破るときが来た。

静寂の中に、祈りを。

名前のない場所で生きる誰かのために、ともに祈ろう。

静寂の中に、叫びを。

声を発せない誰かの代わりに、ともに叫ぼう。

静寂を突き抜ける、祈りを一緒に。

名前のない場所にいる誰かと、心の手を繋ごう。

静寂を突き破る、叫びを一緒に。

忘れないために、思い出すために、ともに世界を揺るがそう。