バッドエンドとハッピーエンドと純文学とエンタメ by 甫 喜義

2015年05月27日 20:03

どうもお久しぶりです! モノクロモノフォニーきってのハッピーエンド主義者(うそこけ)甫 喜義 にございます。

 

なぜ甫がバッドエンドばかり書くのか、それをお話ししようかと思います。

今まで甫のバッドエンド系の作品というと、かなりの確率でキャラクターが死んでしまう、というやつですね。

ただ、甫としては一応なるべく最後に『救済』を入れるようにはしています。

死んでしまっても誰かが弔ってくれる、忘れないでいてくれる、還ってくるのを喜んでくれる、それが甫なりの死なせてしまったキャラクターへの『救済』ですね。特にモノクロモノフォニーには上げてはいませんが『恋する翼~』で死なせてしまった『境 穹沖』にはホント申し訳なくて。一応還ってくるから救ったつもりではいたんですけれど。やっぱり悪いな、と思って。(友人にもあのイケメンをなぜ殺したといわれた。)だから、彼らの学生時代『昼間飛行』が生まれました。

やっぱり作者はキャラクターを生かすも殺すも好きにできる立場だからこそ、きちんとけじめはつけないといけない、と思っています。

 

話は変わって、純文学とエンタメの違い、というのをよく悩むんですが、純文学にも『エンターテイメント性』というものが必要だと思うんです。

たとえば、太宰治『人間失格』(なお甫はあまり好きではありません。)あれも私小説というジャンルに分類されるそうですが、やはりエンターテイメント、という視点でも面白く読むことができるんですよね。その面白さがあるからこそ、今に残っているわけであって。で、その面白さが今の人にもわかる、通じるものが『古典』になっていくと思います。

『更級日記』で若い作者の取り寄せた物語は源氏物語、伊勢物語以外は残ってないそうです。何が残るかはよくわかりません。偶然残るということもありますし。

ですから純文学にもエンタメにもそんな顕著な差はないんじゃないのかな、と思います。

 

駄文長文失礼いたしました!