『最終携帯』
海音
『時』
それは不可逆であり全ての物質及び生命体に平等に与えられた概念。しかし、もし人間の技術がそれを操るまでに進化してしまったら果たしてどうなるだろうか。それが私にとっての昔からの疑問であった。時を超えることは人類にとっての永遠の夢、私はずっとそれを追い求めてきた。
*
僕と先生はある代物を探していた。それは『ディメメント』という、『時の輝石』と呼ばれる伝説上の存在だった鉱石である。なんとも時を越えるほどのエネルギーを備えていて、実際に人の目についてはいるものの、常に時を超えつつあるため、すぐにその場から消えてしまうのがほとんどだという。先生の研究により、次に現れる場所の予測がつき、僕を含めた助手と先生は、その場所に向かっていた。
僕達はそれ利用して新たなる研究―『タイムマシンの作成』を行う予定だった。時を越えること自体は光速に近づくことによって理論上は可能であるものの、地球上で行うのは無理に等しい。また、光速に近づくにはそれなりのエネルギーが必要であるし、その速度に耐えきることができる肉体及び乗り物が必要であり、現実的ではない。そのような試行錯誤の末に挙がったのが、『ディメメント』を利用した時渡りだ。少数ではあるが、過去に発見された事例が記録として残っている。先生と僕達はそれを手がかりに次の顕現時期及び場所を予測したのである。
そして僕等はその場所についた。ヒマラヤ山脈の麓に存在する洞窟の最奥である。真剣に取り組んだ研究ではあるものの、未だにその存在について半信半疑だった僕だが、目的地についた途端、その存在について確信を持つことになった。まるで何かが存在していたかのような不自然な空洞がそこにあったのである。顕現予定時期は一時間後、僕等は採掘の用意をしながらじっと待つ。先生によると、存在できる時間はわずか二十分程度であるという。僕等は気を引き締めて待っていた。
遂にその時は来た。僕はその光景に目を疑った。先ほどまで何もなかった不自然な空間に、突如虹色に輝く物体がふと現れたのである。周りの洞窟の壁に一切影響を与えることなく、しっかりとその箇所にフィットしていた。僕等は確信した、これが僕達の求めていたものであると。興奮の最中、先生が採掘の指示を出す。僕等は慎重に、手を触れないように工具を駆使しながら削り出し、先生の用意した真空容器に入れる。先生が収集した資料から導き出した考察によると、『ディメメント』はこの洞窟に多く存在するキセノンガスを利用してエネルギーを発生しているということがわかっている。ガスから遮断することによって、時渡りを防ごうという考えである。とうとう二十分が経とうとしていた。僕等は採掘を終え、消える瞬間をこの目に収めようと意気揚々としていた。その時、先生の身体が光り輝いた。それに気づいた僕は先生のところに駆け寄る。
「先生、い、一体どうされたのですか!?」
先生は黙ったままメモを取り出し、何かを書き出した。
《この研究、お前たちに任せる》
「これは...先生!?一体どういうことなんですか!?」
僕の言葉は彼には届いていなかった。そして彼は『ディメメント』の方に歩き出し、その鉱石と共に消え去った。そこには再び不自然な闇が姿を現した。あの時の先生の顔―恍惚であり悲しい―まるで何かに取り憑かれたような表情は今でも覚えている。
*
あれから十年の時が経ち、僕たちは遂に時渡りの器具を作り出すことに成功した。名を『シークエンス管理デバイス・最終』と名付け、世に発表した。
そしてそれから五年後、
「遂に僕達は『最終』を携帯することに成功した...僕はこれを『最終携帯』と呼ぶことにしよう。」
「遂に我々は『最終』を携帯できるように...いや、『最終携帯』を手に入れたのですね!」
「そうだ、ここまで長かった...しかし僕達は遂に、遂に『最終携帯』を生み出したのだ!」
「すごい!これで私達はいつでも『最終』を手にすることができるのですね!」
「ああ、この『最終携帯』さえあればな。」
先生の悲願は僕達に引き継がれ、遂にそれは達成されたのだ。先生の行く末は未だ知らないが、どこかで僕達の成功を見ていてくれていたことを願うばかりであった。
*
あの革新的な発明から時が経ち、『最終携帯』の普及率は日本全国においてなんと九割を超える時代となった。安価であり、手軽に最終を携帯できるこの機器は、まさに二十一世紀最大の発明とも言えるだろう。
*
「母さん、誕生日に最終携帯買ってくれない? 」
「だめよ、まだ拓人には早いから。高校生になってからね。」
「え、でも石橋先輩は持ってるし、風太君も買ってもらうって言ってるし。」
「ダメなものはダメよ。最終携帯は使い方を間違ったら一気に危険なものに早変わりするの。」
「わかったよ...」
拓人はしょんぼりしながら自室に戻り、宿題の続きをやろうとした。だが、彼の机の上にあったのは宿題のプリントではなかった。
「これは...『最終携帯』!?」
彼の机の上にあったのは、新品の『最終携帯』であった。彼は早速電源と思われるボタンを押してみると、
【最終携帯E-ver.】
『最終携帯』は起動し、その後しばらくして画面が切り替わる。
【Hello!】
【Please choose language.】
画面に表示されたのは沢山の言語。拓人はもちろん《日本語》を選択する。タッチパネル方式で、操作感覚はスマートフォンに似ていた。
【《日本語》、でよろしいですね?】
彼は《はい》を押す。
【ようこそ、『最終シークエンス管理執行デバイス・最終携帯E-ver.』へ。貴方は私を使うことで、いつでも『最終』を適用することができます。それでは、初期設定に参りましょう。】
彼はここで気づく。『E-ver.』というものはこの世には存在しないモデルであるということを。だが、『最終携帯』を手に入れた喜びと興奮は彼にとってとても大きく、彼は存在しないモデルを操作することを厭わなかった。この時の彼は、自分が世界の命運を握ることになるなど、夢にも思わなかった。
*
『最終携帯』
それは所謂『タイムスキップ装置』である。『最終携帯』は、使用者が行っている行動や、その周囲で起きている出来事などを読み取り、その終点を測定する。そして、使用者にいくつかの選択肢が与えられる。"時をどこまでスキップするかどうか"である。例えば、使用者が会社員だとする。その会社員は休憩時間に『最終携帯』のスイッチを入れ、終点の測定を始めさせた。その後、『最終携帯』の画面上にこのような選択肢が現れる。
どの『最終』にいたしましょうか?
【休み時間終了まで】
【通常勤務終了まで】
【残業終了まで】
【一日の終了まで】
会社員は測定範囲を"当日まで"にしているため、一日の終わりまでが終点測定の範囲となっている。測定範囲は自由に決めることができ、その気になれば【人生の終了まで】測定することができる。
『最終携帯』は『未来』を測定し、時を越える。『最終携帯』を使用すると、選択した時間まで精神が移動する。肉体や周りで起きた出来事はそのまま、精神だけが肉体から乖離し、選択した時間まで移動するのである。重要なのは、"精神の消耗なしに物事をこなすことが出来る"ということ、である。使用者にとっては、気づいたら物事が終わっていたという感覚であろう。場合によっては後に身体の疲れを感じ、起きた物事を後から理解する場合もある。
ここでもう一つ重要なことがある。それは、"スキップした時間の分の記憶を失う"ということである。これは言わば、"時の流れを感じずに歳をとる"ということと同義である。ここに『最終携帯』の危険性を見出すことができる。『最終携帯』を使うということは、"感覚的な寿命を短くする"ということである。『最終携帯』を使用した者は、"精神力が維持できる"のと引き換えに、"時を失う"のである。
*
【あなたの名前を入力してください。】
【あなたの年齢と性別を入力してください。】
【あなたの住所及び電話番号を入力してください。】
僕は言われるがままに情報を入力し、初期設定を完了した。
【これで初期設定は完了です。ようこそ、『最終携帯』へ。】
【私はあなたの人生を測定し、出来事の終点を算出します。そしてあなたをその時点にトリップさせます。それでは試しに、一つ測定してみましょう。】
すると画面が切り替わり、メニューが開く。『Omitter』というアプリケーションのボタンが光る。僕は導かれるままにそれを押し、アプリを開いてみる。
【終点測定を行いましょう。『測定』ボタンをタップしてください。】
僕がボタンを押すと、画面上に『測定中』の文字が現れ、暫くするといくつかの選択肢が出てくる。
【どの『最終』にいたしましょうか?】
【一秒が終わるまで】
【一分が終わるまで】
【一時間が終わるまで】
【チュートリアルが終わるまで】
【一日が終わるまで】
【今回は動作『チュートリアル』を元に測定いたしました。さて、まずは一番上の【一秒が終わるまで】を選択してみましょう。】
僕は『最終携帯』の言う通り【一秒が終わるまで】を選択する。すると、一瞬眠りについたような気がし、そこには...先程までとは全く変わらない自分の部屋と『最終携帯』があった。
【実感がわかないかもしれませんがあなたは一秒後にトリップしたのです。続いて、三番目の選択肢、【一時間が終わるまで】を選択してみましょう。】
再び『最終携帯』の言う通り【一時間が終わるまで】を選択する。すると、また一瞬眠っていたような気がし、目が覚めるとそこには、先程までと同じ僕の部屋、しかしながら時計の針を見るとしっかり一時間進んでいるし、太陽も少し落ちている。まさか本当に時を越えたのだろうか...僕は疑ったが、そこに証拠がある以上『最終携帯』の力を認めざるを得なかった。
【さて、タイムトリップは実感できたでしょうか?これでチュートリアルは終了です。さあ、【チュートリアルが終わるまで】をタップしてください。】
僕は言う通り【チュートリアルが終わるまで】選択し、チュートリアルを終了した。僕はその後もいろいろと『最終携帯』を操作してみる。カメラや、メール、アプリストアなど、まるでスマートフォンのような機能が備わっていて、スマートフォンに『最終携帯』の機能を追加したような感覚であった。そして僕は『ファイル』というアプリを見つけた。ファイル及びフォルダーの管理アプリのようだが、そこには一つだけフォルダーが入っていた。名前は『entrust future』、僕は好奇心の赴くままにそれを開こうとしたが、項目をタップすると、
【パスワードを入力してください。】
というメッセージとともに、入力欄が出てきた。当然パスワードなど入力した覚えはなく、さらには文字の変換まで必要とのことで、開くべきフォルダーではないだろう思って無視した。だが、やはり好奇心は活発なもので、その後もそのフォルダーについてずっと気になっていた。
「ご飯できたよ~!」
突然僕の耳に母の言葉が響く。気づけば空は暗くなっていて、僕が『最終携帯』をいろいろ弄っている間に夕飯の準備が出来ていたようだ。僕は引き出しの中に『最終携帯』をしまい、その場をあとにした。
*
『最終携帯』の力は予想以上に大きかった。まさに『タイムマシン』とも呼べるその存在は、全世界を驚愕させた。
人々は『最終携帯』を駆使して苦難によるストレスや精神の疲労を回避し、人々の顔は活気に溢れていった。ある事態が進行しつつあるということを知らずに...。
*
僕は気がかりだった。僕の持つ『最終携帯』の正式名称である『シークエンス管理執行デバイス・最終携帯E-ver.』の、"E-ver."の意味についてである。"E"は何かの略なのだろうが、ネットで調べても出てこないどころか、そもそも『最終携帯E-ver.』というのは存在しないのである。だが機能自体は現在普及している『最終携帯』とほぼ変わらないため、問題なく使うことが出来た。友達の持っているものに比べる少し解像度がいいことや、スピーカーの音質がいいこと、カメラの画素が倍近くあるということくらいで、単純に本体のスペックが上昇したくらいだろうと考えていた。
そして相違点はもう一つあった。アプリケーション、『ファイル』の中のパスワードのかかったフォルダー『entrust future』の存在だ。誰のものを見てもそのような名前のものは見つからず、これもまた検索にかけても全く引っかからない。また、削除することもできず、謎は深まるばかりであった。
ニュースアプリにでこのような記事があった。
【『最終携帯』世界中で大人気!人類はストレスを感じない世界へ!】
20XX年、『最終携帯』が発明され、人々の生活は劇的に変化しました。ストレスを感じる時間を『最終携帯』によってスキップすることにより、人類はストレスを感じることがなくなりました。NPOの調査によれば、世界の平均幸福度は急激に上昇しており、やはり『最終携帯』は偉大なる発明だったと言えます。さて、記者が独自に開発者の中本隼人様にインタビューを行いました。以下はその模様になります。
「こんにちは、お仕事お疲れ様です。では早速インタビューの方を始めさせていただきます。宜しくお願いします、中本教授。」
「はい、宜しくお願いします。」
「『最終携帯』を開発するにあたって、開発のきっかけになった出来事や人物はありますか?」
「はい、僕の先生がそうです。先生は『最終携帯』のエネルギー源である『ディメメント』についての研究に携わっており、僕はその助手として先生をサポートしていました。」
「なるほど、その先生は今何をやってらっしゃるのですか?」
「先生は...現在も行方がわかっていません。『ディメメント』の採掘の時に先生は突然いなくなってしまいました。しかし僕は、先生はどこかで僕の活躍を見守ってくれているのだと信じています。」
「そうだったんですね。教授は『最終携帯』についてどのような考えをお持ちですか?」
「僕は、自分の発明が世に受け入れられて非常に嬉しく思っています。『最終携帯』は、僕の人生そのものを表していると言っても過言ではありません。」
「ほうほう、貴重なお話をありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。」
このような内容だった。この後も『最終携帯』の使い方や小技などが載っていて、非常に役に立った。また、"E-ver."の機能が普通のものとほぼ変わらないということも分かったため、より安心して使えるようになった。英語をある程度習った僕は、"E-ver."の意味はもしかしたら単純に"進化した"という意味の"Evolved"かもしれないと思った。この時の僕はこう捉えるほかなかった。
*
異変はすぐには起きなかった。人々はストレスから解放されたことによって生活をより豊かに過ごすことができるようになった。そのお陰で最初は仕事や学業もより捗るようになり、経済はより活発に回るようになった。
しかし、『最終携帯』で辛い仕事や学業をスキップし、楽な時間だけを過ごすという使い方がされるようになってからというものの、人々はどんどん『最終携帯』に依存するようになっていき、次第に人々は怠けるようになっていった。
そして、ついに社会は"破綻"を起こした。
*
僕は最初は憧れていた『最終携帯』を存分に使い、楽しんでいたが、僕はあることに気づいた。『最終携帯』を使うということはつまり人生という大きな枠組みにおいて"タイムロス"を起こしているということを。時をスキップすることは出来ても、戻ることは出来ない。だが肉体の老衰は進む。これはつまり、単純にスキップした分の時間を損しているのではないかと考えた。例えそれがその人物において辛い時間であってもだ。それに気づいて『最終携帯』の使用をやめた人間は少なからずいると思うが、特に辛い時間の多い社会人などは、使用をやめることはほとんどなかった。
僕の周りの人間もそうだ。『最終携帯』を存分に使い、"タイムロス"をしていた。最初は僕にとっては知ったこっちゃないと思っていたが、その"タイムロス"とはまた別の点で、社会の"破綻"は始まったのだった。
人々は『最終携帯』を使うことにより辛い時間をスキップしていった。最初はそれによりストレスから解放されるだけで恩恵しか無いと考えられていた。しかし、スキップした分の記憶はなくなってしまう。ということは、スキップした時間に自分が何をやっていたか全く覚えていないということなる。すると、次第に自分がやってきたことについての記憶がなくなり、仕事を全うすることが出来なくなってしまうのだ。
また、辛い時間から解放されることは必ずしもメリットしかないという訳では無い。人々は怠け癖がつき、そもそも仕事などを行わなくなってしまう。
この二つの事象によって、世の中の夥しい数の人間は働くということが不可能になってしまったのだ。
世界は変わってしまった。『最終携帯』というたった一つの発明によって。こんなことなら『最終携帯』なんてなければよかったのにと思った。このままでは世界の未来はない。そう思ったその時、僕はあることを思い出した。
『entrust future』
『未来を託す』という意味のこのフォルダーである。もしかしてこれは誰かからのメッセージなのではないかと考えた。しかし、パスワードは何なのだろうか?僕は考えたが、答えは出てこなかった。ただ、一つだけ思い当たるものがあった。『最終携帯』の開発者の中本隼人教授である。開発者である彼ならパスワードを知っているかもしれないし、知らなくても解析して無理やりこじ開けてくれるかもしれない。僕はその期待を胸に、彼の研究所に向かうことにした。
しかし、その期待は思わぬ形で裏切られた。
*
僕は研究所の場所を調べ、そこに向かった。アポを取ろうかと思い電話したが、電話に出る者はいなかった。電車も動かないため、僕は自転車を使い、二県先の研究所に向かったのだった。しばらく戻れなくてもいいように、ありったけの食料と水をリュックに詰め、小遣いもすべて下ろした。
研究所はとても遠く、ただの高校生の僕にとって百二十キロ以上もあるその道のりはとても辛い。途中で『最終携帯』を使おうとも思ったが、このような事態になってしまった原因を思い出し、思いとどまった。
目的地に着いた時、僕はもうヘトヘトに疲れていて、汗で前もろくに見えなかった。汗を拭って身なりを整え、水分をとって体調をなんとか戻し、インターホンを鳴らした。だが、出るものはいなかった。よく見ると、周りには誰ひとりとして人がいない。これも『最終携帯』の影響なのだろうか。とりあえず、戸を叩いてみる。やはり反応はない。諦めようかと思ったら、何故か戸の鍵がかかっていなくて、中に入ることができた。しかし、このままでは空き巣犯として間違われてもおかしくない。とりあえず中に人がいないか探索してみたところ、ソファに一人の女性が座っていた。
「あの...勝手に入ってすいません。ここは中本研究所でよろしかったでしょうか?」
しばらくして女性はこちらを向いて返事をする。
「はて...お客さん...ですか?ご要件は...?」
女性は呆けた口調で話す。僕がここに無断で入ってきたことに対しては全く気にしていなかったようだった。
「中本教授に会いに来たのですが...」
僕がそのようなワードを口にした途端彼女の目の色が変わった。
「教授は...三日前に自ら命を絶たれました。」
そんなバカな!?彼がいないということは僕の目的はどうなる?僕がここに来た意味は?この世界はどうなる?
「彼は彼のしたこと...発明に対して責任を感じ、自ら命を絶たれたのです。彼にどのような用事があったのですか?」
僕は『最終携帯』を取り出し、フォルダー『entrust future』を見せる。
「僕は彼にこのフォルダーを開いて欲しかったのです。このようにパスワードがかかっていて、彼ならそれについて存じているのではないかと思ったのです。」
僕はその場にいた女性に全てを伝えた。この女性が最後の頼りだったからだ。
「残念ながら私はそれについて全く存じません。私ができることは、この研究所の探索許可を与えるくらいです。私が同行しましょう、あなたの赴くままにここを探索してください。この捜索が"彼"のしたかったこと、何かを世に残すということの助けとなるでしょうから。」
「ありがとうございます。僕は木下拓人といいます。勝手に上がって申し訳ございませんでした。」
「私は田上菜々子、彼の助手をやっていました。宜しくお願いします。」
こうして僕らは打ち解けたと同時に、彼女の目に光を取り戻したのだった。
こうして僕らは研究所の探索を始めたのだが、何故こんなにもあっさりと僕のことを信頼してくれたのだろうか?彼女にとって本来僕は鍵のかかっていなかった施設に勝手に侵入しただけの怪しい人物のはずだ。それなのに何故...?『最終携帯』の影響...いや判断力を弱めるほどの影響は出てないはず...僕はこのことについて考えながら探索を続けていた。
そして僕が見つけられたのは、たった一枚の紙切れだけであった。彼の机に大切に保管されていたその紙切れはかなり古いもので、インクもかなり掠れているが、まだかろうじて読むことが出来た。そこには、
《この研究、お前達に任せる》
と書かれていたのだ。何の変哲もないその文章がなぜここまで大事に保管されていたのだろうか。僕は疑問に思った。そして僕はあることを思いついた。
「これがパスワードなのではないか?」
ダメ元ではあったものの、これが恐らく最後の希望であったため、迷わず僕はこの文章を入力した。
【パスワードを入力してください。】
( )
漢字で入力できるというパスワードとしてはイレギュラーな仕様も、恐らくこの文章に合わせたのだろうと僕は心に言い聞かせた。僕は一文字一文字丁寧に文章を入力し、enterキーを押す。
【パスワードを入力してください。】
( この研究、お前達に任せる )
そしてその結果はというと...
【ロックを解除します。】
僕の憶測は思いの外正しかった。フォルダーの中身は開かれ、文書ファイル『entrust』と、プログラムファイル『rewinder』というものが入っていた。プログラムファイルの方は後回しにして、先に文書ファイルを開くことにした。そこに書かれていたことは、僕の予想を遥かに超えていたものであった。
*
私が二十代の頃の話だ。私はよく屋外へ出かけては、科学の実験を行い、それを小さな子供たちに見せていた。最初は見せる目的ではなかったのだが、ある時、一人の少年が私の行っていた実験を少し遠くから見ていた。そして実験が終わると私の元へ寄り、私のことをこう呼んだ、
「先生!」
と。その後彼は実験を行う度に私の元に通い、彼から実験についての情報を得たほかの子供たちも私の実験を見に来るようになった。
それから数年後、私は地域の住民、主に親たちから「子供が真似するから危ない」と苦情を受け、私は遠くに引っ越して研究所を建て、ひっそりとそこで研究を行っていた。
私がそこで行っていたのは、時渡りのための乗り物、すなわちタイムマシンを作る研究。エネルギーになりそうなものを見つけてはそれを使ってエネルギーを抽出する実験を行い、度々失敗してきた。
そして私は思いついた。時を超える存在、その名も『時の輝石』を使えばいいのではないかということを。だが『時の輝石』の目撃情報は少なく、その存在は謎に包まれていた。私は過去の記録を収集し、『時の輝石』の正式名称は『ディメメント』という鉱石であるということ、『ディメメント』の周辺の空気にはキセノンガスが多く含まれていることから、『ディメメント』とキセノンガスとの間に何らかの関係があるということがわかった。
私が研究を初めてから八年の時が経った。相変わらず私は『ディメメント』の存在についての研究を行っていたところ、どこからその噂を聞きつけたのか、ある人物が私の元にやってきた。中本隼人、私のことを『先生』と呼んでいたあの少年は成長し、一人の研究者となっていたのだ。
「先生、お久しぶりです。僕は大学を卒業し、先生に憧れてこの場所を訪れました。先生、僕に先生の助手をさせてください!」
私はもちろん彼を歓迎し、『ディメメント』についての研究を彼とともに行うことにした。その後、新たに田上菜々子という新たな助手もつき、私の研究者としての生活はより充実したものになった。
そして私たちはついに『ディメメント』の正体を暴き、それが現れる時期と場所を特定することが出来た。インドの資料館から譲り受けたことに氷に閉じ込められた『ディメメント』が、大いに研究に役に立った。場所はヒマラヤ山脈の麓にある『キセニカ』という洞窟。キセノンガスが空気中に多く含まれていることから名付けられた洞窟だ。私たちはそこに向かい、『ディメメント』の出現を待った。
目的地に着いてから一時間後、予想通り『ディメメント』は現れた。玉虫色に輝くその鉱石は私たちを圧倒した。
そして私が助手たちに採掘の指示を出した直後、私の網膜には今まで映っていた洞窟の壁から別のものに変わった。それは衰退した日本、原因はわからないものの、人々は目の輝きを失い、経済は回らず、我が母国は破滅への道を歩んでいたいたのだった。そしてある言葉が聞こえる。
「最終携帯さえなければこんなことには...」
もちろん、声の主はわからない。私が気になったのは『最終携帯』というワードだ。もしもその『最終携帯』がこの『ディメメント』の研究から派生したものであるとすれば、今の私に見えている像は、これから起こることに対しての警告なのかもしれない。
私は『ディメメント』の研究をしたかった。しかし、未来に行き、腐敗してしまった日本を変えたいとも思った。だが両立はできない。そこで私は手分けをすることにした。
「先生、一体どうされたのですか?」
助手の彼、中本隼人の声が聞こえる。彼なら私の意思を継いでくれる。そう確信した私は、
《この研究、お前たちに任せる》
メモにこのように書き、それを彼に渡した。
私が『ディメメント』に直接手を触れると、私の体が強く光り輝いているのを感じた。そして私は気を失い、次に目を覚ましたのは同じ洞窟の中であった。少し欠けた『ディメメント』はすぐに姿を消し、私は外に出てどうにか日本に帰った。そこで初めて自身の状況を知る。私がいるのは三十年後の未来の日本であるということを。
*
『entrust』
僕は恐る恐る文書ファイルを開封した。そこにはある人物からのメッセージが書かれていた。
《このメッセージが君に届いたということは、私の実験は成功したということだ。信じられないとは思うが、このメッセージは君がいる時代から約十五年後の未来からこの私、岸川柊が送ったものだ。君は木下拓人、私のよく知る人物だ。なぜなら私は未来の君に会い、話をしたからだ。これから書くことはこの世界を救うための重要なことだから、よく読み込んでほしい。》
まるで僕のことを全て知り尽くしているような書き方で非常に不気味であった。さらに未来から送られたメッセージということで、普通ならただの悪戯として流していただろう。しかしながら自分もまた時を超えた経験があり、そのメッセージの内容を信用することが出来た。
《まず前提として、この世界は徐々に退廃を進めている。これは君の住む時代の話だ。そしてこのままだと人々の生気は跡形もなく失われ、世界は完全に退廃してしまう。そのような結果を防ぐためにも君は今尽力していることだろう。》
この内容は僕にとって特に衝撃的というわけではなかった。現状からしてこのような結果は予想できたからだ。
《君の持つ『最終携帯E-ver.』、それは私が開発した特別仕様の『最終携帯』だ。私のいる時代の『最終携帯』は君が住む時代よりも更に進化しているが、君に問題なく使ってもらうために君の時代のものに合わせた仕様にしておいた。》
なるほど、画質が今のものより良く、カメラやスピーカーのスペックが高いのも納得できる。
《さて、君の時代の『最終携帯』との相違点は幾つかあるが、その中でも最大のものが『時戻し』の機能だ。『entrust future』のフォルダーの中に入っているこの文書ファイルではないもう一つのプログラムファイル『rewinder』でその機能を解放することができる。このメッセージを最後まで読んでからそれを行うといい。》
『rewinder』という名称はそこから来ていたというわけか。やはりこちらのファイルから開いて良かったと思った。
《その『時戻し』機能で君に何をしてもらうか、それは過去に戻って私のいる絶望の未来を新しく書き換えて欲しいのだ。先に君に未来も含めた状況を理解してもらうためにも私が未来の日本に行ってからの話を書こう。長くはなってしまうが最後まで読んでほしい。まず、私はまともな人を探した。東京を放置されていたバイクで走り回り、沢山の人をあたった。そして見つけたのが二人の人物。かつての私の助手で、私の研究所を私に代わり管理していた田上菜々子。そして、未来の君、この世界を変え、新しい時代を切り開くのに尽力する人物、木下拓人だ。》
...待てよ?僕の未来の姿は想像通りだ。だが田上菜々子という名前―今ソファに座っている―先程まで僕の研究所の探索に付き添っていた人物と同一の名前ではないか。ということはそこにいる彼女と未来にいる岸川柊という人物が会ったかつての助手というのは、どちらも研究所を管理しているという事実を踏まえて、二人は同一人物ということになる。
《私たちのこの世界を変えたいという意見は一致し、その目的達成のためにあらゆる策を練った。そして最終的に思いついたのが何らかの方法で『最終携帯』の開発を止めるということだ。だが当時の技術でできるのは『時を進める』こと、しかもその精神のみだ。私は『最終携帯』の改造をし、まずは精神だけを過去に戻すところから始めた。私が着目したのは『ディメメント』の性質だ。『ディメメント』が常に時を超えているということは既に知られている事実であるが、もし時渡りのベクトルが正の方向にのみであるならば、『ディメメント』は人間の住む世界よりも進んだ時間軸を進んでいるため、それが再度姿を表すことは絶対にない。だが、同じ場所に何度も現れている。これはつまり負の方向にも時渡りをしているということになる。私はこの事実に気づき、『最終携帯』のを改造をして『最終携帯Re-ver.』を作り出した。そして私の助手、田上菜々子にその実験台になってもらった。彼女の精神を君のいる時代にまで戻し、研究所に来た君にあのメモを探させるよう誘導してもらった。君かどうかの判断のためのキーワードは『中本隼人』という『最終携帯』の開発者の名にしておいたよ。》
ここで合点がついた。僕が教授の名前を出したときに彼女の目の色が変わったことも、彼女が僕をあっさり信頼し、この研究所を探索する許可をくれたのも、全て計画の上だったということだ。
《実験は見事成功した。過去に戻って新たなる記憶を手に入れた未来の彼女がそう報告してくれたよ。そして私は次のステップに移った。物体そのものを過去に戻すことだ。ここで私が着目したのは私が未来にやってきた時、身体もそのままの状態で時渡りをしたという事実だ。そしてそこから導き出した考察は、『最終携帯』は『ディメメント』の力を抑制し、精神だけに時を超えさせているデバイスであるということだ。やっとここで今まで秘密にされていた『最終携帯』が精神だけを時渡りさせる仕組みが分かった。私は当時の日本にあった使われなくなった『最終携帯』たちをかき集め、その中から『ディメメント』の欠片を取り出し、『最終携帯Re-ver.』に入っている『ディメメント』に融合した。さらにその力を最大限に引き出すため、超小型キセノンガス発生装置も追加した。私は新たなる機体に『最終携帯E-ver.』と名付け、実験を行った。そして見事実験は成功した。なぜなら実験台は『最終携帯E-ver.』そのもの、君がこの文章を読んでいることはつまり、実験成功を意味するというわけだ。そしてトリップ後に『時戻し』機能を封印し、その解放プログラムをこの文書ファイルと共に『entrust future』というフォルダーにしまい、『この研究、お前達に任せる』というパスワードをかけ、削除不可フォルダーとしてアプリケーション『ファイル』の中に保存させたのだ。長くなってしまったが、これが私が未来に行ってからの私がした大まかな行動だ。》
全てが理解出来た。『最終携帯E-ver.』ができる過程も、僕がこの『E-ver.』を手に入れた理由も、そして隠された『時戻し』の機能も。
《『最終携帯E-ver.』が君の手に渡ってから、未来の君は姿を消してしまった。それもそのはず、未来の君はいち早くこの世界の異変に気づき、『最終携帯』を使わず適度なストレスを感じながら育った君であったからだ。過去の君が『最終携帯』を手に入れてしまったため、未来は少し変わってしまったのだ。申し訳ないが、これも未来の君の同意の上だ。許して欲しい。》
少なからず未来に影響はあったというわけだ。僕のこれからの行動が未来に大きな影響を与えるということは、僕にとって自明の理であった。
《君はこれから『rewinder』を開き、『時戻し』機能を解放してもらう。そしてそれで何をしてもらうかというと、『シークエンス管理執行デバイス・最終』の開発が始まる二十年前に戻り、『最終携帯』の開発を辞めさせることだ。未来の状況を説明すれば『彼』なら分かってくれるだろう。もしそれでも彼を説得できなかった時は、このメッセージの最後に添付しておいた写真を見せるといい。退廃した未来の状況をできるだけ生々しく撮しておいた。もし君がその写真を見るならばある程度の覚悟をしておいた方がいい。君が予想するよりも遥かに酷い状況だからだ。気を狂わせないようにしてくれ。もちろん過去に戻ることは強制はしない。なぜなら君はただの『少年』であり、未来を変える使命を持った『救世主』では必ずしもないからだ。それに、未来を変えることはリスクが大きい。だがもし、君に未来を変えたいという意思があるならば、過去に戻り、新しい時代を切り開く、いや寧ろ、あの『発明』によって新しい時代を切り開かないようにして欲しい。健闘を祈る。
最後に、私が直接過去に行って未来を変えるということができない理由について話しておこう。未来に行ってから、私は身体の検査を自分で行った。すると、私の身体の所々に損傷があることが分かった。時を超える前にはそのようなものはなかったから、おそらく『ディメメント』による時渡りのせいだろう。私は昔から身体が弱かった。だから時渡りによりかかる負担に身体が耐えきれなかったのだろう。実は今、私は寝たきりの状態なのだ。それでも私は『最終携帯E-ver.』を完成させ、このメッセージを書いた。少し卑怯かもしれないが、私の意思を継ぐという意味でも、私は君にこの未来を託したい。『E-ver.』の『E』は『託す』という意味の英単語、『Entrust』の頭文字の『E』だ。君を巻き込んでしまって本当にすまない。未来を、この世界を頼んだぞ。》
僕は使命感に駆られた。この世界を変えられるのは僕しかいない。僕には過去に行き、『最終携帯』の開発を止める義務がある。そのように感じた。
僕は岸川柊の意思を継ぎ、過去に行く。僕は『rewinder』を開き、『時戻し』機能の解放を実行しようとした。だが、その前にメッセージに添付されていた写真を見ておこうと思った。
そこに写っていたのは、まるで時が止まってしまった世界のような、そんな気がした。人々は生気と知能を失い、ある者は路上に寝、ある者は裸で呆然と立ち尽くし、またあるものは焦点の合わない目で何処かを見つめていた。都市機能は停止し、電車は止まり、建物は無人もしくはただの寝床と化し、大量のゴミが辺りに散らばっていた。そこはまさに、『退廃』という名がふさわしい世界であった。
僕は予想以上の状況に混乱しかけたが、なんとか正気を保ち、写真を閉じて『rewinder』を実行した。
【rewinderを起動しています...】
【機能の回復を行っています...】
【セッションが完了しました。端末の再起動を行います】
【最終携帯Entrust Version】
*
「先生...!岸川先生...!」
僕は先生のことを呼び続けた。しかし、先生はどこにもいない。洞窟という密室の中、『ディメメント』と共に先生の姿は消えてしまった。
「先生は...一体どこに行ってしまわれたのだろうか...?」
「分からない...けど、きっと私たちのいる世界ではないと思います。」
「僕達は先生に任されたんだ、この研究の続きを。僕達は彼の意思を継ぎ、『ディメメント』を使って新たな時代を切り開くんだ!」
僕達は『ディメメント』を持ち帰り、その場を後にした。先生から貰ったメモは、いつでも見れるように、また、劣化しないようにラミネートして机に飾っておいた。
『ディメメント』
その名前は『次元』を意味する『dimension』と『何かを思いこされるもの』を意味する『memento』からきている。『次元を思い起こされるもの』というその名にふさわしい力を持つその鉱石は、僕達の研究に新たなる光をもたらした。
僕達は『ディメメント』を使い、ある機器を作ろうとしていた。精神だけを未来に送り出す装置だ。なんとも、エネルギーの密度によって、時を渡らせるもののスケールが変わるという。僕はその性質を利用して精神だけをタイムトリップさせるための装置の開発を行っていた。それと同時に、時間の流れを計測する装置の開発も行っていた。そしてその二つを融合させ、僕達はまさに『タイムマシン』を作ろうとしていたのだ。
名前はもう決めてある。『物事の終点』を計測し、そこにタイムスリップすることから、『シークエンス管理執行デバイス・最終』と名付けようと思っていた。
そして僕達が研究を行っていた最中に、研究所に客人が現れた。インターホンが鳴り、僕はすぐさま戸に向かう。そこにいたのは、謎の機械を持った一人の少年であった。
「あの...木下拓人といいます、あなたが中本隼人教授でしょうか?」
「いかにも僕は中本隼人だ。君は...木下くんは一体どんなご用事で?」
僕はとりあえず事情を聞くことにした。だが、「外は寒いからとりあえず中に上がらせましょうよ。」と菜々子が横槍を入れた。僕は彼を招き入れ、事情を聞くことにした。
「単刀直入に言います。非常に恐縮なのですが、今すぐに『最終』の開発をやめていただきたいのです。」
*
【Hello!】
『最終携帯E-ver.』は起動した。本来の名前『最終携帯Entrust Version』となって。僕はホーム画面を開くと、そこには見たことのない新たなアプリケーションが出現していた。
『Rewinder』
それこそがこの『最終携帯E-ver.』の本当の機能、僕に"託された"力、『時戻し』のアプリである。ここまできたら僕はもう後戻りはできない。誰かに「行ってきます」と言おうと思ったが、僕の周りの人物は皆ほとんど生気を失いつつある。だから僕はそこのリビングにいた田上菜々子さんにだけ伝え、僕はアプリを起動した。
【Rewinderを起動しています...】
【使い方はOmitterと同様です。過去を測定し、戻りたい時期をタップしてください。】
僕は測定する地理的な範囲をこの研究所に設定し、時期的な範囲は二十年前まで、出来事の判定基準を最大に
そして時渡りの対象を『肉体』に設定し、『測定』をタップした。すると、このような項目が出てきた。
【どの『最初』に致しましょうか?】
【『ディメメント』を持ち帰った時】
【『最終』の開発を始めた時】
【『最終』の開発が終わった時】
【『最終携帯』の開発を始めた時】
【『最終携帯』の開発が終わった時】
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【『中本隼人』が自殺した時】
【『あなた』がここに来た時】
僕はこの選択肢を見た時、あることを確信した。それは、僕がここに来るということが、この世界にとってとても大きな出来事だったということを。
僕は意を決して【『最終』の開発を始めた時】を選択する。
【本当によろしいですね?】
《はい》《いいえ》
と、確認が入った。よほどリスクのある行為なのだろう、念には念を入れているのを感じられた。僕は迷わず《はい》を選択する。
【Rewinding...】
すると、僕の身体が強く光り輝いているのを感じ、その後気を失った。目を覚ましたのは、二十年前の研究所の外であった。
*
時計を何度確認しても、ここは二十年前のあの研究所。周りの風景は今とは違い、かなりの田舎であった。僕の手元にあるのは『最終携帯』と、家から持ち出してきた荷物だけ。僕はいきなり大きな不安に襲われた。自分は今全く知らない時期、それも自分がまだ生まれていないという未知の時間にただ独りぼっち。もちろん家はなく、金も、食料も限られている。ここで初めて『死』という言葉が頭をよぎった。だが、僕にはある使命がある。絶望の未来を変えるという使命が。僕はそのことを思い出し、不安をなんとか断ち切った。
僕は覚悟を決めてインターホンを鳴らす。すると中からテレビやニュースで見たことのある人物、しかし僕の想像するよりも若い、中本隼人教授が出てきた。
「あの...木下拓人といいます、あなたが中本隼人教授でしょうか?」
「いかにも僕は中本隼人だ。君は...木下くんは一体どんなご用事で?」
僕は事情を説明しようとしたが、奥から別の人物が現れ、「外は寒いからとりあえず中に上がらせましょうよ。」と教授に話す。彼女こそが、僕が先程まで同じ空間にいた田上菜々子さんだった。彼女もまた僕の想像していた姿よりも若い。このことが僕が本当に時を戻ったということを実感させた。
僕は研究所に招待され、事情を話した。
「単刀直入に言います。非常に恐縮なのですが、今すぐに『最終』の開発をやめていただきたいのです。」
「!?何故その名前を...君は一体何者なんだ?」
「信じられないかもしれませんが、僕は二十年後の未来から来ました。あなたの発明したこの『最終携帯』を、未来に渡った岸川柊という方が改造し、過去に渡れるようにしたものを使って。」
「君...先生の知り合いなのか?先生は今どこに!?」
「ですから、先生は未来に渡られたのです。そして全てを知ったのです。あなたがこれから発明する『最終携帯』がこの世を破滅させることを。」
「僕が世界を破滅させる...?そんなことがあるというのか?それに僕は先生の意思を継がなければならないんだ!だからこの開発をやめるわけには...」
「でしたらこれを見てください。あなたの言う"先生"が撮った今から三十年後の未来の写真です。」
僕は『entrust』に添付されていたあの写真たちを見せた。
「そして、僕の身元を証明するにあたって、これをご覧ください。」
僕は追い討ちをかけるようにあのメモを見せた。岸川柊の書いた《この研究、お前たちに任せる》というメモである。
「勝手に持って来てしまい申し訳ございません。ですが、これで僕が本当に未来から来た人物であるということが証明できたと思います。」
「...これを見せられては流石に君のことを信頼せざるを得ないな。そして僕の発明が未来を破滅させる...と。本当にそんなことがあるというのか。確かに、考えてみれば科学者の発明が地球を滅ぼしかけたという事例も少なからずある。「RHIC」によるブラックホールの創造や、コーラ半島のボーリング実験などがそうだ。そして、僕の研究がそれらに加えられてしまうということなのか。なるほど...わかった、確かに僕は『ディメメント』の研究はしたい。だが、世界を滅ぼしたいわけじゃない。よって、この研究をやめることをここに宣言しよう。」
僕が「ありがとうございます」と言いかけた瞬間、僕の頭の中から"何か"が消えた。その"何か"が何であったかも思い出せない。そして、先ほどまで手にかかっていた重量は消え、何故ここにいるかどうかもわからなくなった。
未来は変わったのだ。たった二人の人物を除いた全人類の記憶から『最終携帯』というワードが消えたのだ。
「あの...僕は何故ここにいたんでしたっけ?」
「そうか、未来が変わったから君の記憶も消えてしまったのか。僕は中本隼人。君は大冒険をして、世界を救ったんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、不安に満ちていた僕の心が光で満たされた。
「そんな君にプレゼントをあげよう。菜々子、"アレ"を持って来てくれないか?」
そして僕に渡されたのは、ケースに入った美しい鉱物。『ディメメント』という膨大なエネルギーを持った鉱物らしい。
「僕たちにはもうこれは必要ない。これで元の時代に帰るといい。」
ここで女性が中本さんに話しかける。
「隼人さん、研究のあてはあるんですか?」
「そうだな、"新時代の携帯電話"なんてのはどうだろう。僕は後に『最終』を携帯化するつもりだったから、今僕が持っているアイデアも応用できるはずだ。拓人くん、期待して待っていてくれ。」
「はい!えっと...中本さん、ありがとうございました!」
「礼を言うのはこちらの方さ。ありがとう、拓人くん。さあ、『ディメメント』に手を触れるんだ。」
僕はケースを開け、中の鉱石を直接手を触れて取り出す。すると、僕の身体が光り輝き、僕は意識を失った。何だか懐かしい感覚だった。
*
この世から『最終携帯』の存在を消すことが先生の望みならば、僕がしたことは間違っていないはずだ。僕が開発をやめ、彼に『ディメメント』を渡したことにより、彼の持っていた機械はなくなった。これで...良かったんだ。僕は大きな喪失感に襲われながらも、彼の機械を手本に菜々子と共に新たなる開発を始めた。
そして遂に僕たちは新時代の携帯電話の開発に成功した。あるゆる身近な製品の機能を『携帯』できるこの機械、ショルダーフォンに始まりスマートフォンまで進化を遂げた携帯電話の"最終形態"とも言えるこの機械の名は...
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「誕生日おめでとう!拓人!」
僕の名前と僕を祝う言葉が聞こえ、僕は目を覚ます。
「あの...ここは...」
「何寝ぼけてんの、今日はあなたの誕生日でしょうが。今日は久しぶりにお父さんが帰ってくるのよ。」
声の主は母親だった。そしてガシャリ、と鍵を開ける音が聞こえる。
「あ、帰って来た。おかえりなさい。」
「ただいま母さん、誕生日おめでとう、拓人。ほら、プレゼントだ。前から欲しがっていただろう?」
僕は近くにあったカレンダーを確認すると、今日は四月十五日、確かに僕の誕生日だった。僕はプレゼントの箱を開ける。そこに入っていたのは、あるゆる機械の機能を内包した新時代の携帯電話、『最終携帯』というものであった。
このワードを見たとき、僕は今まで起こっていた出来事を全て思い出した。僕は過去を変え、未来を変えられたのだ。この『最終携帯』はその象徴とも言えるだろう。全てが終わったことを悟った僕は安堵に包まれ、その場にへたった。
「どうしたんだ拓人、嬉しくないのか?あんなに欲しがっていただろう。」
僕は立ち上がり、答える。
「いや、とっても嬉しいよ!ありがとう父さん!」
*
私の辿り着いた三十年後の未来の日本は、私が見た像とは全く違うものだった。少子高齢化や燃料の不足に悩まされながらも、粘り強く存続と発展を続ける、生気に満ちた国であった。私は一安心したと同時に、私がここに来る意味はなかったのだという事実に気づいた。...いや、あった。彼らに託した『ディメメント』の研究の行く末を知ることだ。私は研究所に向かうことにした。
道中で、ある人物に会った。どうやら、この時代の日本の総理大臣だという。周りにボディーガードをつけてまで私に会うとは一体何事なのだろうか。
「こんにちは、あなたが岸川柊さんですね。」
「はい、そうですけれども、何故私の名を?それに顔までご存知とは...何処かで会いましたかね?」
「いえ、これが初対面の筈です。理解できないとは思いますが、聞いてください。あなたのおかげで世界は救われたのです。正確には救ったのは"消えた未来のあなた"ですが。」
彼はそう言い残してどこかに消えてしまった。私は彼が言うように彼の言葉の意味の全てを理解することはできなかった。だが、"消えた未来"という言葉、もしかしたら私の見た像のことかもしれない。
"未来の消失"、そんなことあるのだろうかと疑問に思いながらも、私は再び研究所への道を歩むのであった。
*
夢のような、現実のような、不思議な感覚だった。まるで、物語のエンディングのように、僕の頭の中に三つの物語の結末のようなものが流れた。
人には、それぞれの物語がある。どこで、いつ終わるか分からない、儚くも美しい物語が。その内の小さな一区切りが今終末を迎えたのである。『最終携帯』は、ゲームで言う"エンディングへの近道となる裏技"に近い。それが人生の面白みを奪い取るのだから、皆が生気を失うのも当然というわけだ。『E-ver.』は、それを僕に教えてくれた。
End