雨ぐむ心
つめたい夜は音が染み込むような気がする。
今窓を叩いている雨粒もそうだ。降り注ぐ水玉に揺さぶられて鳴る葉擦れも、家々の細い間隙をすべり抜けていく風も、その夜はあらゆるものが楽器だった。
雨音を聞くと、心が凪ぐ。昔からそうだった。だから友達へ、怒りのままに目に見える形でひどい言葉をぶつけてしまった私は、携帯をベッドの上に放って窓のそばに立っていた。
春の夜と言えど冷える。結露して水滴が伝い落ちる硝子は、そばに寄っただけで冷気を放っているのが感じられた。すぐ近くに雨が地面を打つ、乾いたような潤んだような音がしている。引き寄せられるようにベランダへ出た。
軒下でも細かな水の粒は吹き付けてきて、髪がうっすらと濡れる。あっという間に服がやや重たい色に変わる。寒いという感覚を、少し遠い意識で受け取っていた。ささやかに降り続く雨が少しずつ、少しずつ心の熱を奪っていく。無意識に指先へふうっと息をかけて、そこでこちらも体温を失っていたことに気づいた。
あの子はいま何を考えているだろうか、とぼうっと私は思う。
唐突に友達から突き落とされたような感覚がしただろうか。
私はこうして雨で誤魔化してしまえたけれど、あの子は――?
目を閉じた。
私の言葉によって傷つけ、もうとうに私の言葉など届かなくなってしまっただろう、あの子を思って。
『もうともだちじゃない』
閉じた目にまた、じわりと涙がにじむ。
澄んだ水滴たちは、夜の密やかな町明かりをほんのり映して空気を塗り替えていく。静かで澄んだ空気が、いつもよりずっと遠くへ私の思いを届けてくれないかな、なんて、淡い幻想を抱いてしまう。
「もう友達じゃない―――そんなことないよ。」
“そんなこと”にしてしまったのは自分なのに、私はなんて都合の良いことをかんがえているんだろう。
鉛のように重たく、錆臭く沈んでしまった「私」を捨てて、どこか遠くに行けたのなら・・・そしたら。
「そしたら?」
すぐ傍で、猫の鳴く声がした。
みゃぁ、みゃぁぁあと、窓の外からか細い声が聞こえる。
――こんなつめたい、雨の降る夜に、外にいるの?
みゃぁ。
猫は応えた。
艶やかな黒い体毛に、透明な滴がいくつも垂れていく。
潤んだ大きな両目には、はっきりと私の顔が浮かんでいる。
そこに映った私は、これまでにないほどひどい顔をしていた。
消えることを一瞬でも望んだ私を咎めるように、寄り添ってくれた存在を突き放すような言葉を浴びせたことを責めるように。
そして、それら全てを赦すように、猫の瞳の中で揺れる私が私を見つめている。
みゃぁ。
また、鳴いた。
――もう、我慢しなくていいんだよ
まるでそう言われた気がして、私から雫がこぼれ落ちた。
それはこの雨のように細かく、繊細な雫。
けれど、猫の繰り返す慰めがこらえさせることをさせず、やがて雫は大粒となり、土砂降りが起こり、私の中にあったつまらない意地やわだかまりまでも流れていった。
猫が、みゃぁみゃぁ、と呼びかけるように鳴き、私の雫をなめる。
今度はもう泣かないで、と言うようで、私は残った雫を拭い顔を上げた。
「あっ」
気づくと雨はあがり、雲間に星が少し輝きはじめていた。
思いを届けてほしいと幻想を寄せた空気はもう無い。
私のなかの意地とわだかまりももう無い。
あの子はいま何を考えているだろうか、と私は思った。