雑踏に消えて、消えて、その後に

 

 千秋楽のチケットは高い。初日と中日、そして千秋楽とあるが、そのなかで一番高い。プレミア化したものはオークションで元の値段の何倍という値段で取引される。

 都会のとある横断歩道の前でその男は立っていた。顔には、二十代の若々しい面影はなく、三十代のはずの顔には、年に似合わないような、暗い顔をしている。手には茶封筒。黒づくめの中で、その茶封筒だけが色味を持っている。日の光は鈍い。冬の脳髄に響く空気の中、澄んだ空気の中にちりやほこりが浮遊しているのが見える、といってもいいほどだった。エンジン音を鳴らして車が通りすぎる。黄色信号だったよなあ、と男は緩慢な思考に応じた。

 高い音がして、典型的な合成ナレーションが、信号が青になったことを伝える。人がばらばらと歩き始めた。足早に彼を通り過ぎていく。彼もそれに追従するように歩みを進めていく。

「ここか。」

 永谷園のお茶漬けのようなカラーリングの垂れ幕や、大入りと書かれた看板。茶封筒の中からチケットをとりだして、中に入る。

 丸のような形のチケットカウンターで、坊主の若者が、こんにちは、と挨拶をしてチケットを切る。彼もこんにちは、と若者にいってから、あそこで弁当を買えばいいんですか、と尋ねる。

「はい。そうです。珍しいですね、このお昼の時間におつとめの方がいらっしゃるなんて。」

 彼は少し不思議気な顔をしたが、はっと気づいたように、すみません、立ち入ったことを、と目を伏せた。

「いや、いいんだよ。今日は午後半休をとったんだ。」

 疲れた顔で笑顔を作る。

「そうですか、ではごゆっくりお楽しみください。」

 若者は歯を見せた。そして、頭を下げる。彼はありがとう、と言ってから売店へと入る。弁当と、お茶を買う。ビールも置いていたのだが、彼はあまり酒が強い方ではなかった。それと最中アイスを手にとって会計を済ます。

「六百二十円です。」

 結構高いな、と彼は思ったがこれも味のうち、なんだか少し心がわくわくとしてきた。幼い時にテーマパークに行く時に感じた、まだ見ぬ者への軽い興奮が襲ってくる。だんだんと薄暗くなる廊下は少し不気味だ。ただ、その先に何があるのか分からないのが楽しくなってくる。

 ドアを開くと暗がりの中にオレンジ色の光で照らされる高座がぽつねんとあった。前の方の席はすでに埋まっていて、暗がりながらも、きらつく白髪頭や禿げ頭、薄毛、耳には、しわがれた声や、もごもごいうような音が耳についた。買った弁当を開けている人や、昼日中からビールをあおり、陽気な空気を醸し出している人しかいない。彼は畳まれている椅子を倒して座った。開演五分前です、のアナウンスがなる。一瞬持っていた最中アイスを食べようか食べまいか迷ったが、周りの人は開演のアナウンスが入っているのに、それを気にせず飲み食いしている。いっそ清々しい。やはり、お年寄りが多いからか、彼は不思議に思いながらも、最中アイスの袋を破って最中にかぶりつく。湿っていた。皮は異様にちぎれにくく、また歯に引っ付く。ただ、アイスはちょうどいいくらいの柔らかさになっていた。世に言うラクトアイスという奴で、アイスクリームに比べると脂肪分は絶対的に低い。舌にアイスはまとわりつくこともなく胃の腑に落ちていった。こんなにやすっちいアイスを美味しく感じたのは彼にとって新鮮な感覚をもたらした。不思議と彼の意識は高座のほうに吸い寄せられていく。

 出囃子が