センセン フコク
月の語源は、『憑き』であるという。実際問題、満月の日には子供が多く生まれ、また殺人件数も増える……というデータすらある。月は潮の満ち引きにも関係がある。月が衛星であるから、地球は地球という仮説も成り立つ。
月がもし消えたのなら。
月が消えた。少女がつぶやいた。最初は皆、それを一蹴した。しかし、そんな馬鹿なといって月をみたものはまた彼女と同じように月が消えたとつぶやいた。その日は満月だったはずなのに、月は消えた。皆既月食があったとかそういう意味で消えたという意味ではない。実は月がチーズでできていて、大きなネズミがすべて食べてしまったとかとかそういう話のレベルで月は消えてしまっていた。
科学者が会議を開いていた。
「月がないことによって、潮の満ち引きが。」
「いや、そんなことより、月が消えたことによって重力の問題が。」
「もとから離れていくものが少し早い段階で消えただけだ。」
議論はこねくり回されるだけですこしの進行もない。そんななか、警備員に制止を受けながらも一人の人間が、そこへと躍り出た。
「はーい、皆さん、ごきげんよう。月の代表です。」
科学者たちはこの世のすべてを疑った。アポロ計画により、月には何の生命もないはずだ、という考え方がとっくのとうに浸透していた。その月の代表と名乗る者は、透き通るような髪の毛と、真っ白な肌とよく通る低めの声をしていた。男なのだろうか、女なのかもよくわからない。彼?はくるりと周りを見回してから笑った。
「僕が代表として、皆さんにお知らせをいたします。今まで月はこの地球の植民地となっていました。ですが今日から独立をいたします。」
あくまで丁寧。しかしその声には有無をいわせぬ何かがあった。
「はい、まだ続きます。もし、そちらが月の独立を認めない場合、強硬手段を執らせていただきます。戦争します。おっと、失礼、あちらから連絡がきたようで。」
彼?は目を閉じて、その後、え、本当、わかった、と言ってから目を開けた。
「はい、すいません。どうやら地球側はあたしたちの要求をのんではくれなかったようです。」
一人称がコロコロと変わる。それを気にせず声明を続けた。
「すみませんねえ、あっちのお偉いさん、気が短いんですよ。というわけで、じゃあ、戦争、ってことで、いいですか?」
こっちだって別に戦争したいわけじゃないんですけどねえ、と、大げさにため息をつきながら言う。
「おい!」
突如、群衆の中から声が上がった。その声で、呆然としていた科学者たちは次々と我に返り、会場は喧噪に包まれた。
「皆、すまないが、少し静かにしてくれないか。」
声の主は、ざわめく科学者たちを制すると、人混みをかきわけ、前に進み出た。
「三つ、質問がある。簡潔にすませるつもりだ、良いか?」
「別にかまわないですよ~、さっさとしてくれるんなら、ね。」
「ではまず一つめだ。貴様の名は何だ。貴様の国では、名を名乗らないことは失礼にあたらないのか。」
大柄なその男性は厳しい目で月の代表を見つめた。その視線にも動じず、飄々とした名乗りは上がった。
「名前ですか。そんなことが重要なんですね、いや馬鹿にするつもりはないんですよ? ――ボクはナハト、ええナハトです。さて、お次の質問は?」
「……そもそもお前は誰なんだ。植民地? 独立? 要求? 戦争? 訳がわからない、目的だって知らされていないぞ。はじめから説明してもらわなければな」
「いったいどこまでが三つの質問なんでしょうねえ。わからないのですべて話しましょう、ことを長引かせない程度に。戦争に持ち込む方が楽と言えば楽なんですが、わたしはこういう話をするの大好きなんです」
にやにやと、神経を逆立てるような笑みだった。
そして続けられた言葉に、会場中が再びのざわめきで満たされる。
「――絶望ほど面白いものはありませんから」
改めまして、と一礼したナハトは、一転楽しそうに弾んだ口調で話し出した。
「質問返しといきましょう。まず、地球側はどこまで状況を把握しています?」
「・・・」
誰も答えなかった。というより、答えられなかった。
ナハトの三つ目の質問の答えが衝撃的だったから、というよりも、ここに居る全員がナハトの質問に対する答えを持っていなかったのだ。
「どこまで把握してるんですかー?」
ナハトは、さっきの大柄な男へ再度聞き返した。
「状況と言われても・・・」
男は口ごもり、吐息をついてナハトを見つめた。
「月が消えた、そのたった一つの事実以外、何もわからないのだ。」
ナハトは、おやおや、とまるでいたずらした子供のあいてをするかのような顔つきをになった。
「さっきの説明では不十分でしたか。まあ、とはいえ、無理もないかもしれませんね。質疑も応答もてんでんばらばら、こんがらがってましたからね。」
では、と後ろに組んでいた手をわざとらしく広げて、ナハトはにやっと笑った。
「さっきのまとめにしかなりませんが、お話ししましょう。」
その一、とナハトは指を出す。
「まず今まであなたたちは、月を我が物顔で・・・平たく言えば植民地のようにして、扱ってきましたね?そしてあなた方の認識では月には生物が居ないとのことでしたが・・・」
そこでナハトはパチンと指を鳴らした。すると、会議室の壁に何かの映像が流れ始めた。
「月に生物は居るんですよ。まぁもっとも、あなた方の定義する生物とは、少し違うかもしれませんが。この映像に映っている世界、これが月です。あなた方の思っていたモノとかなり違うでしょう。それもそのはずです。あなた方には見えていなかったのですから」
映像の中には、ビルのような建物が建ち並び、ナハトと同じような風貌の生物が出入りしていた。それが月であると言われても、俄には信じられないような光景である。
「これは…どういう…」
「だから人間は傲慢だと言われるんです。月の者に見えるモノと人間に見えるモノが違ってもいいじゃありませんか」
「いや、しかし、光学センサーには今までなにも反応は…」
「まさか、まだ唯物論者が科学者だったなんてねえ、これは大前提だよ?まあ、いちいち答えていられないから飛ばしていきます。
さて、心優しき月の民は、今まで地球人が我が物顔でこちらの領土に足を踏み入れてもなにも言いませんでした。鏡みたいなよくわからないものを遺されても、文句の一つも言いませんでした。ほんと、やさしいですよねぇ?
そんなある日、月の民を激怒させるニュースが飛び込んできました。『月から資源を発掘する』?『月に地球人用コロニーを作る』?そんなことが許されるとでも思いましたかっ!
私たち月の民は、開発を主導した国に抗議のために足を踏み入れました。けど、話を一切聞かずに銃で撃ってきたんだよ?ひどいと思わないか?」
ナハトが一気呵成に喋りたて意見を求めたが、気圧された科学者の中に答えられるものはおらず、沈黙が無秩序に暴力的に拡がっていった。
そんな中、大柄な男が再び歩み出て、ナハトの前に立つ。先ほども答えていた男だ。
その目に決意の色を宿しながら、緊張した様子でナハトに話しかける。
「・・・そちらの言い分はわかりました。確かにこちらに非があるのでしょう。ですが、我々は月に貴方たちのような知的生命体が存在するとは知らなかったのです。その点を鑑みて、我々に幾ばくかの余裕を与えてはくれませんか?傲慢な要求だとは承知しています。ですが、私たちにも守りたい者がいるのです」
声は震え、顔には汗が浮かんでいる。お世辞にも格好いいとは言えない。心ない者たちはダサいと言ってその姿を笑うだろう。
しかし其処には、確固としたひとりの男がいた。
男の言をうけ、ナハトは目を細める。
「・・・ふふ、いいでしょう。ボクから戦争は一旦止めるように言っておくよ。しかし久々にいい『モノ』を感じました。あなたがそこまでして守りたい者とは、いったいだれなのですか?」
「娘です。忘れ形見の」
静かに、優しく、慈しむように、その名を告げる。
「名は、朔夜」
了