サンライズ

 

「カナタ、こっち来いよ。地球がきれいだぞ」

「リョウはいつも地球を眺めてばっかりだよね。飽きないの?」

 私はリョウに呼ばれてアパートの外に出た。本来長期休みの宿題を終わらせなければいけないのだが、私よりも進度が遅いリョウを放っていたのでは意味がない。

「それより早く宿題やりなさいよ。あんたこのままじゃ先生にどやされるわよ」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。俺は毎回ラスト3日のラストスパートがすごいんだから、今回もどうにかなるって」

「あんた前回も同じこといって、結局私の宿題を写してたでしょ。今回は見せないわよ?」

「・・・はい、わかりました。宿題がんばります」

「よろしい」

 リョウがとぼとぼと部屋に戻っていく。その背中には哀愁が漂っているが、自業自得というものだ。

 せっかくだから気分転換をすることにした私は、一人空を見上げた。

 きらめき水をブチまけたような明るい夜空には、ひときわ大きな地球が浮かんでいる。

 表面は白い紗に覆われていて、僅かにのぞく隙間から青と緑が伺える。そのグラデーションは絵の具では表せないほどに深く多彩で、同じ色をしたところは一つもない。

 まわりには小さな煌めきが数え切れないほど散らばっていて、私をやさしく照らしてくれる。

「さて、やるか」

 宿題、がんばらないとね。

 

 宿題というものは集中さえすれば早く終わる。だというのに。

「カナタ! 宿題見せてくれ!」

 二時間ほど前に別れたばっかりだというのにリョウは早くも私の部屋へと宿題を教えてもらいに来ていた。

「見せないっていったでしょ。」

 つっけんどんにそれをいって自分の宿題の方に集中する。バックミュージックはガラス玉をはじいたような優しい音がしていた。

「でもよー。ここの問題だけはどうしてもわかんないんだよ。ここだけだって。後全部終わったし。」

 早い。集中してできるならさっさとやればよかったのに、とぼやくと何か言った、と聞かれる。

「ううん。何でもない。私もそこわからなかった。」

「マジで。というわけで一緒に考えてくれたまえ。」

 いつの間にかに簡易机を広げ、宿題のわからないところも広げ、なぜかすでにオレンジジュースまで用意されているという謎の用意周到さ。

「冷蔵庫開けたの?」

「うん。もうちょっとカナタはまともなもの食べた方がいいな。全部出来合いのものだし。栄養バランス崩れちゃうぞ。そうでなくても人間の体は月にまだ完全適応するほど変わってはないんだから。」

 まさか、彼にお説教を食らうとは思いもしなかった。それを誤魔化してわからなかった問題を解く。三十分たっても、一時間たってもその問題には完全な方程式など書くことができるものではなかった。

 リョウのうおおお、わかんねえという悲鳴を尻目に私はジュースを少しあおった。放っておかれたコップは汗をかき、ジュースの方はぬるくなってしまっていた。しかし果汁感だけはまだ残っていた。

「よし、いったん休憩しよう!」

 リョウの謎の宣言。また冷蔵庫をあさりに行ったようだ。

「しっかし、ほんと何にもないなこの部屋。お、お菓子発見。カナター、これいつのお菓子だよ。」

 何を見つけたのだろうか。彼は結局オレンジジュースパックだけを持ってこちらへと帰ってきた。

 

「お前さあ、普段何食ってんの?」

 あきれた顔をしながら、リョウがパックをとん、と机におく。

「野菜もない、果物もない、生肉もない。お前、しっかりしてるように見えて、そういうところはズボラなのな。自分の体なんだから、もっと労れよ。ジュースでビタミン補おうなんて甘いぞ。」

 空っぽになったパックを潰し、ゴミ箱に放り込むリョウ。人の家の飲み物を飲み干したのかこいつは。全く、飲み物くらい自分で持ってくればいいのに。

 

「何食ってんの、って言われてもなぁ……」

 腕組みをして嘆息。答えようがない話だ。悩んでいる素振りをしながら、こめかみから染み出す水滴が冷感を刺激する。

 だって、何も食べていないのだ。

 正確には食べる必要がない。

 人類が月で生活するにあたって、それをサポートする役目のものが必要だと、製造されたのが私、カナタだった。別段私に限った話ではない。この類の人型アンドロイドは、きっと私のように人間の振りをしながら生活を送っているのだろう。私は子供と称される低年齢の人間の補助をするために、見た目から似せて作られていた。だからリョウは幼い頃からともに過ごす私のことを、人間として信じ切っているのだ。

 

「あ、お前あれだろ、ダイエット?とかしてるんだろう。」

 女の子にそういうことを聞くあたりや、ダイエット? と疑問形なところがリョウらしい。

「してないよ、してない。それよりも、普通の女の子にそんなこと聞いたら怒られるから止めなよ?」

「普通な女の子って。お前は普通じゃないのかよ。」

「うん!実は私ロボットなの!」

 ・・・と言えるはずもなく、

「いいから、勉強勉強!あの残ってる一問解いちゃおうよ。」

「へ?あー、おう。」

 なんだか納得しなさそうな顔で、それでも彼は机に向かっていく。強引話題転換を下というのに、鈍いやつだ。

 そんな悪態のようなものを内心でつきつつ、何となく私の心はちくちくとうずいているような気がした。

 作り物のくせに。

 

 リョウはいつもいつも、私の家に来ていた。

 前触れもなく唐突に来て、長々と居座る。それがいつものことだったが、なぜか今日は違った。

‘なあー。お前家にいるな?’

 電話口でも彼は意味不明なことを言う。

「いるよ。ていうか、今電話にでてるんだからいるに決まってるでしょ」

 おおそうか、なんてのんきなことを言う彼に、私はあきれつつ質問を返す。

「何の気まぐれ?熱でも出てるの?」

‘三十五度九分だ。’

 律儀に答えなくていいっての、とつぶやくと、なんか言ったか~?と返ってくる。

‘まあいい。そのまま家にいるんだぞ。俺今からいくからな。’

 ぶつりと切れた受話器を睨みながら私はため息をついた。

 それからしばらくもしないうちに、リョウはやってきた。

「外いくぞ、カナタ!」

「…はぁ?何言ってんのアンタ」

 不満を零す私の腕を引き、カナタは強引に家を出た。

 月の砂がふわりと髪にかかる。あまり外で長居をすると体内の中枢に砂がたまるので、メンテナンスが必要になってめんどうくさい。それでも、リョウが嬉しそうに私の手を引くから、黙ってついて行った。

「見てみろ、綺麗だろ!」

 そういって指を指すリョウの手を辿ると、そこには見慣れた地球の姿があった。地球のちょうど向こう側に太陽があり、かすかな光がこぼれ、淡く地球を照らしている。

「これ、見せたかったの」

「おう!日の出はあんま一緒に見たことなかったからな」

「…そう」

 キラキラ輝く地球を見つつリョウの方に目を向けると、にっこりと笑ったリョウの顔があった。

 唐突にリョウが話しかける。

「どうだ、元気でたか?」

 非現実的なまでの絢爛を誇るダイアモンドリングに目を奪われかけていたわたしは、リョウの一言で現実に引き戻される。そしてその言葉の意味するところがわからず、突っかかるような対応を取ってしまう。

「なによ、まるで私が病気だって言いたげな口ぶりは。私はあなたに心配されるほど弱く」

「最近お前あまり元気が、いや、なにかに悩んでるような気がしてさ」

 そこには、私の知らないリョウがいた。

 普段のおちゃらけた雰囲気はなりを潜め、顔は凛々しく、口元は鋭く引き絞られている。

「こないだ、一緒に宿題やっただろ?あれから時々表情が暗くなって、そのあと必ず泣きそうな顔してるんだよ、お前。自分じゃ気づいていないのかもしれないけど」

「あ、え、うぁ、いや、」

 唐突な指摘になにも答えることができず、意味のない言葉を紡いでいると、ふいにリョウの唇が綻ぶ。

「俺は、責めてるわけでもなければ、なにがあったのか知りたいわけでもない。ただ、お前には元気に笑っていてほしいだけだ」

 確かに私は、ヒトであるリョウとアンドロイドである自分との違いに戸惑っていたのかもしれない。私は食物を摂取する必要もなく、その気になれば呼吸も必要ない。

 自分は、違う。

 気づかないうちに悩み続けていたそのことを、リョウが解き明かしてくれた。なにも聞かず、優しく接してくれた。

 私は、私は・・・

「ありがとう」

「どういたしまして」

 地球の陰から出てきた太陽が、私たちを明るく照らしてくれる。