神の光

神の光

 

 ここには、何もない。

 悲しみも、憎しみも、楽しさも、幸せも、変化も……。

 ただ光だけに包まれたこの空間で、一生を過ごすだけだ。

 かといって、何か不満があるわけではない。寧ろ、心地よいとさえ思っているかもしれない。

 そんな日常が変わったのは、いつもより暑い日とか、寒い日とか、そういうのではない。ただ無常に時ばかりが流れる、いつもと同じでそんな予感は一切無い日であった。

 

 私は、いわゆる天の人である。下界の人間達は私をなにか「尊い者」のように扱っている。しかし、実際にはそうでもないような気がするのだ。天上界の人付き合いなどには関わらず、自分で作ったこの空間で特に何もせずに暮らしている。果たして、それは本当に「尊いお方」なのだろうか。

下界では今、「引きこもり」という者がいるらしい。学校に行かずに、家でごろごろしているそうだ。私はそれに近いのではないだろうか。特に苦労もせず、自分だけの空間を支配する。ただそれだけ。

そんなことを考えながら、今日もいつも通り、何の変化もない時間を過ごすつもりだった。

 今日も、いつも通り……。

 

 

 私はいつも通り、下界の人間達を眺めていた。彼らは私を敬っているように見えて、縋っているだけだ。今日も、「神様、仏様…」と拝んで、物事を成功に導いてもらおうとする。私は願いを叶えられる程万能ではない。願いを叶えられるかどうかは本人の努力次第なのだ。

 毎日、毎日、絶対に居る、拝む人間達。他力本願と言わんばかりに強く願う人間達。

(そんなに拝む暇があったら努力すればいいじゃない)

 私はいつもそう思いながら、拝んでいる人間達を見下ろしていた。見下していたと言ってもいいかもしれない。

そうして過ごす、私の「引きこもり」生活は、充実しているとも、欠陥があるとも言えなかった。ただ、人間達のそれぞれの人生を眺めて過ごすだけだった。

 

 

今まで何億何万といろんな人間の人生を眺めてきた。家族のために毎日家事に追われる女性、人目を忍んで悪事をする男、気の弱い人々に私が見えると嘯くやつら。

私は彼らに出来るのは見合う罰や見返りを与えるだけだが、生まれたころは楽しかったそれも、今や程度さえ気分次第だった。

 

しかしそんなつまらない生活に光が差し込んだのは数日前のこと。

それは一人の男子高校生によってだった。

 

その動きは、まさに芸術であると常々思う。

 胸を張り、目いっぱいに伸びた腕。決して力ずくに頼るのではなく、体全体の力を使うことでそれは自然としなる。気付いたら、目の前に白球。まるで自分を狙っているかのように、下から上の軌道を辿って白球は向かってくる。空気を裂いて、唸りを上げて。

 一拍置いて、ストライク。野太い声が、乾いたグラウンドの奥の方まで飛んでいった。

 

 

 彼を見つけてから、私の日常は彼の日常と同期した。彼が喜べば私も喜び、彼が悲しめば私も悲しむ。日々血のにじむような努力を重ね、ゆっくりとしかし確実に成長を続ける。

 久々に、感情を正の方向に動かされた。生きていることが楽しいと思えた。彼を――彼の努力を尊いと思えた。

 

 そんな新しい日々は――唐突に終わりを迎えた。

 

 トラックとの衝突事故。全治半年、選手生命は絶望的。その診断を聞いたとき、私の顔は醜くゆがんだ。

 けれど彼の顔は光を失わなかった。

「まだ希望はあるんですよね?」

「……リハビリは苦しいものになりますよ?成功する確率も決して高くはありません。それでもやるんですか?」

 

 ――やります、と彼は言い切った。

 

 その姿を見て、私は遙か昔のことを思い出していた。

 最初に救いを与えたとき。ひたむきに努力を続け、それでも願いかなわずに敗れようとしていた少年の、その心の願いを叶えてあげたいと思ったのではなかったか。そうした想いに感動したのではなかったのか。

 ――私は、私の心にもたらされた光に応えるため、彼へと光をもたらした。

 

 

 

                        Fin.