正義と光
正義と光
少年、雨野光は自分の名前が好きではなかった。小学校において彼のことを級友が「ひかる」と呼ぶと、たとえそれが冗談と分かっていても苛立ちを押さえられなかった。
彼は「光」という概念が好きではない――積極的に嫌っていたからだ。
暴力的にすべてを射し照らし白日の下に曝す光。瞼を貫き脳を叩き起こす光。じりじりと万物を灼き劣化させる光。人が大切に心に秘めていたものを自分勝手な都合で侵し暴き、飽きるとふいと捨ててしまう光。
――彼は「正義」という概念も嫌っていた。
社会通念として正義が必要とされることは理解していたし、一般的な「悪」は唾棄すべきものだと捉えていたが、それでもなお彼は正義を――一方的な価値観を押しつける「正義」を嫌っていた。
ただ彼は「正義」なんていうのはちっぽけで、壊れやすくて、手に取ろうとすると一気に崩れてしまうことも知っていた。社会に出る以上、自分より年が上の人にはいやでも作り笑いをしなければならない。逆らうことも許されない。彼は、自由なんてものは自由を手にした者だけがそれを欲しがる者を論う概念として捉えていた。
光はなにひとつ光るような要素を持ち合わせていなかった。彼はそれを不満に思っていたが、周りはどうやら何も感じていないようだった。
だから16歳を過ぎた頃から彼自身もそのことを考えないようになっていた。
しかしある日、例の級友がある言葉を口にした。偶然ショッピングモールで出会ったときのことだった。
「お前、自分の名前が嫌いとか言ってたよな。でもそれよく考えると、親御さんがかわいそうだよな」
彼は、軽く衝撃を受けた。自分の考えが、知らぬ間に他人を傷つけていることもあるのだと、その時初めて気づいたのだ。
その日以降、彼は再び自分について考え始めた。
自分は何故、「正義」が嫌いなのか。自分は何故、光るものを持っていないのか。自分は何故……。
何度考えても、どれだけ考えても、答えにたどり着くことは出来なかった。
光は、級友の言葉を反芻しながら、「正義」について改めて考え直していた。
正義――正しい道理。人間行為の正しさ。
正しい道理の「基準」は人によるのではないか、人間行為の正しさの「基準」は人によるのではないか。
光は、「基準」が分からなければ「正義」を定理づけることはできないと考えた。
「もう良い。考えるのは止めだ」
しかし、彼はあきらめたのではない。寧ろ、これからの人生でその答えを、いつか、見つけられれば良いと思ったのだ。
これからの人生で、光は自分の中の光を探してゆこうと決めた。
Fin.