のぞむものは

 

   のぞむものは

 

ぼうっと立っていると大きな轟音の後に最終電車が走りこんできた。鷹のような鋭い目つきで走っている。

僕はそれを橋の上から眺めていた。

隣で君はそれを僕のようだと言った。

一重でつり上がった目が昔からの悩みであり、それはまた象徴でもあった。

下を覗くと風が吹いてきてシャツがなびいた。

 

 

 アナウンスが流れる。君は踵を返し、入口の方へと戻ってしまった。

「乗らないの」

「うん」

 君が何を考えているのかは分からない。けど、僕は特に何も考えずにその背中を追った。

「なんでここに来たの」

「うーん、なんでかなあ」

 君は少し笑って答えた。

「分からない。君が何を考えているのか」

 思ったことをありのままに言う。すると君は少し寂しそうな顔をして、また笑った。

「よく言われるよ。でも、あなたにはいつか分かってほしいなあ」

「ふーん」

 まだその意味は分からないけど、いつか僕にも君を理解できる日が来るのかな。

 そんなことを考えながら、僕は彼女と一緒に帰路へと着いた。

 

「ただいまー」

「おっかえりー」

「君も出かけてたでしょ」

「なら何でただいまっていうのさ」

「家に言ったんだよ」

「あはは、なにそれ」

 花のように笑う君。僕はそれをずっと見ていたいと、改めて心から思った。

 『君を守る』それが僕の仕事だ

 

ここは駅前にあるマンションの一室が僕らの住む家だ。二人暮らしにしては十分すぎるほど広く、部屋の壁は白く、マンションが新築されて間もないことが分かった。フローリングの床には傷一つない。和室もあり、入ると真新しい畳の匂いがした。

  僕は自分の部屋になる予定である和室に干してあった自分の布団を取り込んだ。柔らかく、暖かい布団に身を埋めていると眠気に支配され、そのまま落ちた。

  

起きると夕方だった。あの寂しさを感じさせる柔らかい陽の光が僕の部屋にも入り込んでいた。部屋の窓から外を眺めると、山に沈もうとしている太陽の光と、見慣れない町並みが目に入る。

  僕は窓を開けた。すこし冷たい風が室内に入り込み、僕の頬を撫でた。目を瞑ると近くの公園で子供が遊ぶ声や、車の音、日常に包まれた音が耳に入り込んだ。

 

 「起きたんだ。きょうの夜ごはん何にする?」

窓から差し込む夕日の陽に照らされながら、君はそう尋ねた。

茜色に染まった頬を見ていると、オレンジ色のものを食べたくなり

「パエリア」と僕は答える。

 

 

「パエリア? なんだっけ、それ」

「あれだよ、混ぜご飯みたいなやつ。フランスの。あれ、スペインだっけ」

「あなたもわかっていないの?」と君はおかしそうにわらった。

「レシピ本のようなものがうちになかったっけ。それに載っていたと思うよ」

 結婚する前、ちょうど今日のような散歩の帰りに、突然食べたいものがあると言って君が買いに行ったんじゃないか。

「そうだっけ。あっ、思い出した。ラビオリが食べたくなって」

「そう。食べに行けばいいのに、君は意地でも作るよね」

「旦那様のご飯に手抜きをしないのが、私の誇り」

「よくいうよ」

 僕がこん、と君の頭を小突くと、君はきゃっきゃと笑いながらいたーい、と頭をかばった。その白樺のような細いべにさしゆびには、君好みの華奢な銀環がはまっている。その世界で一番だいじな輪っかには窓から差す山際の陽光がきつめに瞬いて、思わずくらっときた。

「どうしたの」と目ざとい君は心配げにいった。

「たいしたことではないよ。君の」指環が、といいかけて、悪戯心が疼いた。

「君の変わらぬ美しさに、眩暈がしただけさ」

「うわ、さむー」君が大げさな身振りで冷やかし、僕も「うん、自分で言ってて鳥肌」と返した。

「それで、何作ってほしい? ラビオリだっけ」

「何でもいいよ。君が作るなら」

 僕はそういって、芝居がかったしぐさで君の左手を取り上げてべにさしゆびの付け根に接吻した。なにすんの、と君が手を取られたまま僕の頭を小突く。

「このやりとり、前にもしたね」

 君が懐かしげに眼を細めて言うので、僕は笑って言った。

「これからもするよ。君が飽きるまでね」

 いつのまにか、陽はすっかり暮れている。

 

 

 

                            Fin.