レッドクラッシュ
それは真っ赤で、とろとろに甘かった。
それを感じたのと同時くらいだ。目の前で、火花と電光と、絵の具が炸裂したみたいな色が弾けて、奇妙な音が響き渡った。
無音でだだっ広い、乾いた空間の中で。
―――一体君は、ここにどんなモノを描く?
「なめちゃいけないヤツだよ、それ。」
会った途端にこれだ。
私の顔を見るより先に、私の手元のパッケージに目をとめたアリスは顔をしかめて言った。
「いいんだよ、私は。」
「君がよくても、ルールがだめって言ってるからさぁ。」
アリスに言われる筋合いはないや、と私は内心でこぼした。彼女だって、「耐性」があったらきっと舐めてるはず。それは別に、特別にこのキャンディーがおいしいとかそういうわけではなくて、ルールに関してアリスも私もルーズだから。
「アリスも舐めてみる?キモチイイよ」
私がそうそそのかすと、アリスは口角をあげて言った。
「じゃあ、舐めてみる。そのかわり私の処理はお願いね」
「え、ちょ、待っ」
アリスはカゲで私の手首を掴み、指をこじ開けてパッケージを奪い取る。カゲからパッケージを受け取ると、見せつけるようにゆっくりとキャンディーを取り出し、指先でつまんだそれを口元に運ぶ。
「ダメだってば!」
あわててイトをアウェイクし、アリスの指を止める。アリスはにへらぁとした笑みを浮かべた。
ドサッという音を伴ってアリスが倒れた。
「ちょっ、アリス? アリス!」
私は彼女の元へと駆け寄った。だからダメだと言ったのに……。
彼女の顔を覗き込むと、死人のように動かない表情があった。
この後、どうしろって言うのよ……。
とりあえず、私の部屋のベッドに運んだ。人の部屋に忍び込むのも気がひけたし、あのままの状態にしておくのは危険だったからだ。
私が最後にあのキャンディーを食べたのはいつだっけ? ここにいると時間の感覚が薄れるから困る。でも、あの体験はきっとこれからも鮮明に私の中に残るだろう。
激しい衝撃の後に感じたのは、ふわふわと浮かぶ感覚だった。まるで水に漂うような、そんな感覚。意識の限界すれすれを漂って最後に行き着いたのは、真っ白な世界だった。私以外の人はおろか、本当に何の物体もないまっさらな空間。
私はゆっくりと目を開けた。ジェットコースターの頂上から自由落下を開始するちょうどその瞬間のような浮遊感に吐き気を覚える。
「ここはどこ」
体を横たえたままそう吐きだすと、アリス! と私を呼ぶ声がして、それから駆け足の音が迫ってきた。
足の音?
そう、足の音だ。
私以外に何もなかった真っ白な世界に、もう一つ何かがある。
誰かがいる。
形のない牛乳の中に沈んだようだった視界がはっきりしてくると、私は白いベッドに横たわって白い天井を眺めていることが分かった。重たい腕を動かすとかすかに痛み。掛け布団をはねのけて腕の内側を目の前に持ってくると、ゴムの管が接続された針が差し込まれていることが分かった。その腕は白く青く、皮膚の代わりにガーゼを張り付けたようにしわだらけだ。
何だこれと顔をしかめる。私は何か病気をしただろうか。どうしてこんなに皺くちゃになってんだろ。
足音は近づいてくる。初めは軽いぱたぱたという音だったように感じたが、大きくなるにつれてそれがどうやらそうではないらしいと分かった。どうも走る音には聞こえない。酷使された気管支が摩擦する音がする。足音はそこまで来て、とまった。喘ぐ声はまだ聞こえる。
「アリス」
聞き覚えのない老婆の声が私を呼んだ。
「誰?」
私はそう返した。あのキャンディに手を染めたときから、両親さえ音信不通になった。ましてや祖父母と関係が保っているわけがない。よって彼女は私の親族ではない。
「誰なの?入ってくればいいじゃん」
ぞんざいに言い放つ。若者らしく言い放ったその声が、なんだかしわがれている。
ドアが開く。背中を丸めた老女が現れる。
「アリス。目が覚めた。やっと――」
「あんた誰?ここどこ?」
「私はキティ。五十年前に、一緒にあれを食べた」
「キティ?」
あのとき、あの刺激的でとろりと赤いキャンディを。
「なにいってんの。キティは十七だよ。騙ろうったって無理があるよ」
「わたしはあなたと同じ年よ、アリス。あなたも私も、六十七よ」
あなたはあれを口に含んで、それから五十年眠っていたのよ。
彼女はそう言って私に枕もとの手鏡を寄越した。
「ごらんなさい」
私は従順にその底光りする表面を自分の顔の前に持ってきた。
「―――嘘」
戦慄く唇を抑制して何とかそう呟く。老婆――キティのほうを見やると、彼女は沈痛な面持ちでうつむいた。
「だって、あなたが悪いのよ。『耐性』のないあなたがあんなものを食べたから――」
残りはもう聞こえなかった。
サイレンの様なしわがれた悲鳴がのどの奥から溢れた。