あめ

 あめがふってきた。

 ぱた、ぱた。と硝子戸を打つ音が響く。透明な彼らは硝子に当たって、重たげに重力に従ってねっとりと下方へ向かう。彼らの足跡にはふっくりとドームを保った(すじ)がまっすぐに伸びている。それはきっと、指で掬って舐めたなら、ぺっとりと甘く、そして甘いに違いないのだ。

 彼らは粘液状の飴――汁飴とも言う――つまりは、水飴の雫だった。

 大きなレモンでできているというお日様を覆い隠すマシュマロの雲は、今日もどんよりと、そしてひっきりなしに彼らを地上にもたらす。

 下界の木々はぐったりと、その潤いのない恵まぬ雨を受け止めている。

 

 

 その姿は、嫌いな食物を無理やり食べさせられている子供のようだった。食べたところで吐き出したくなる、そんな感覚がする。

 木々は思う。

――これは雨ではなく飴ではないか?

 木々は確かに感じ取っていた。

――これは我々の望む雨ではない!

 また、木々は考える。

――お日様の様子が可笑しいぞ…

――雲の様子も可笑しいぞ…

 お日様も雲も甘そうだ。

――――いつから、世界は甘そうになったのだろうか?

 その謎が解ける者はいない。

 お日様がレモンになった理由も、雲がマシュマロになった理由も。

 誰一人として分からない。

 いつから雨が水飴になったのか?

 誰一人として分からない。

――この世界には、不思議なことが多すぎる。

 

 

その光景を、悦に入ったような冷たい瞳で見下ろす、一人の魔女がいた。

 

「あの、ネービス。」

彼女に付き添っていた若い男―――というより少年が、変化に乏しい顔を恭しくうつむけたまま尋ねた。

「また気に食わないことでもあったのですか。」

しばしの沈黙の後に、魔女が答えた。

「・・・うるさいわ。」

「すみません。」

魔女の声は思ったよりもあどけなく、少年は凍りついた瞳の魔女よりもさらに表情がない。奇妙な二人組は、降り注ぐ「アメ」がこびりついてつやつやとてかるお城の最上階にたたずんでいた。

「すみません。」

「あなたじゃないのよ。」

魔女はやや鼻にかかった声で答えた。少年はそれを聞いて、やや首をかしげた。

「・・・お風邪を引かれましたか。」

「そうかもね。でもあなたには関係ないことよ。」

「はい。」

そっぽを向いた少女の横顔を、少年は初めてじっと見つめた。

この少女のせいで、この世界にはずっと「アメ」が降り注いで止まないのだった。太陽はただの飾り物になり、雲はずっと厚く硬く、風も光も通さない。

お菓子の魔女。

 

 

 ネービスは、ハァとため息をひとつ吐いた。漂う甘い香りにウンザリするように顔をゆがめる。

その様子を見ていた少年は短く一言唱えると、空中からわたあめのカーディガンを取り出した。

「こちらをどうぞ」

 ネービスは横目でちらと見ると、無言で床―――チョコとバニラのクッキーの上にはたき落とす。少年もまた何も言わずにそれを拾い、手品のように消してからもう一度新しいものを取り出した。

「こちらをどうぞ」

 先ほどと寸分違わぬ動きでカーディガンを差し出す少年。そっぽを向いていたネービスはまたため息を深くつく。そして少年に向かい直り口を開いた。

「私はそんなもの欲しくは無いわ」

「そうですか。すいませんでした。では、こちらをどうぞ」

 無表情でそう言う少年は、綿飴のカーディガンを消すとカステラのベットを取り出す。

「・・・それも、欲しくは無いわ」

「そうですか。すいませんでした。では、こちらをどうぞ」

 そして少年は、マーマレードのソファーを、カップケーキのテーブルセットを、ポテトチップのテレビを、ゼリーのバスタブを、次々と取り出した。

「・・・・・・欲しく無いわ」

「そうですか。すいませんでした。では、わたしをどうぞ」

 自らの左腕をつかんだ少年は、力を込めてそれを折り取った。チューイングキャンディーの皮膚が、生クリームの脂肪が、ガムの筋肉が、グミの血管と神経が、飴細工の骨が、ぶちりと裂けた。断面から溶けたチョコレートの血が垂れる。

 差し出されたお菓子の左腕を前に、ネービスは一際大きく息を吐いた。

「もういいか」

そして一言唱え、少年を消す。

 ネービスの肌は、目から垂れた水滴を弾いた。