絶対零度少女

 人の心の形ってどうなっているんだろう。

 現実的に考えると、心の形はそのまま脳の形ってことになると思うんだけど、俺がしているのはもう少しロマンチックな話。

 物語的で比喩的な。そういう話。

 熱い人は炎で表現したりするような、そんな感じだ。でも人によって表現が変わるってことは、決まった形はないってことなんだろうな。

 じゃあ話を変えるけど、自分の心ってどんな形してるかわかるかな。俺はちなみにわからない。

 不思議なモノで、生まれてから積み重ねてきた自分のはわからなくて他人のはわかるんだ。

 俺が好きになった人は、氷みたいな人だった。

 

 

 高校生になって、初めて気づいたことがある。席変えで教室の一番後ろに座り、休み時間にぼーっと教室を眺めていたら、女子っていうのはいくつかの派閥に別れる傾向があるのだと。俺のクラスでは三グループに別れていて、クラスの女子は一人を除いて全員がどこかのグループに属していた。

 あともう一つ。見た目がいい女子っていうのは女からもモテるということ。

 さっき言った、どこのグループにも属さない女子というのが、笹川雪子。名前の通り白い肌を持ち、それとは好対照に黒く輝く長い髪。スレンダーなスタイルと垢抜けたナチュラルメイク。

 入学当初は彼女の周りにはたくさんの人がいた。自分達のグループに取り込もうとする女子。下心を持って近づく男子。端から見ていた俺は、このまま彼女は人気者になると思っていたのだが、彼女はそんなに単純な人間じゃなかった。

 彼女はどのグループにも属さず、男子とも仲良くせず、クラスで浮いた存在になることを選んでいた。休み時間は常にヘッドホンをして、無表情のまま音楽を聴いて本を読む。

 そりゃあ彼女自身に仲良くする相手を選ぶ権利は当然ある。問題は彼女の見た目だ。学校のクラスには生態系というものがあり、収まる所に収まる人が収まらないと、それが狂う。

 美人はちやほやされるべきだという自然の摂理。それを美人が拒めば、もちろん次の美人がその座に収まる訳だが――学校のクラスではそうもいかない。その座を拒んだ一番の美人が、クラスの端にいるのだ。当然二番目は気分よくないだろ?

 自分はおこぼれでちやほやされてるんだから。

 だからなのか。二番目は笹川を目の敵にして、女子の雰囲気がよろしくない。

 しかし彼女はそんなこと知らん顔。

 俺みたいな男にとって、そういう雰囲気は辛すぎる。俺はカメレオンとして生きているから。学校のポジションで一番大変なカメレオン。特定のグループに属しているわけではなく、全てのグループに分け隔てなく存在している。

 朝学校に来て、クラスに入り「おはよーっす!」と大きく挨拶をする。そして、自分の席に向かいながら、まるで有名人の凱旋みたいにそれぞれのやつらに挨拶をする。この挨拶二回は朝の日課。俺が机に座ると、辺りに人が集まってくる。俺が特に一緒にいる、クラスで目立つグループ。俗な言い方をすると、リア充グループだ(この言い方、あまり好きじゃないんだよな)。

 やつらの話を聞き流しながら、ちょうどよく相槌を打ち、しっかり聞いてる振りをする。俺の演技がどの程度のレベルかは比べたことがないから知らないが、向こうも別に、俺が話を聞いてるかどうかなんて関係ないのかもしれない。とりあえず話せればそれでいいという感じか。

 人と人の間から笹川雪子を盗み見て、得体のしれない渦を心のなかに感じた。胸騒ぎに似ていて、それとは違う何か。――それは多分、憧れだ。

 俺みたいに、人に嫌われたくないって思いながら、それを第一に行動するような男とは正反対の位置にいるからだろう。ある意味で嫉妬と呼べる。

 「――お前、笹川見るのはやめとけよ」

 友人の一人が、顔を近づけて、小声でそんな忠告を飛ばしてきた。いきなり降り出してきた雨みたいに、それは俺に不快感しか与えず、思わず眉が釣り上がる。

 「は? なんでよ」

 「お前そりゃ、遠山がやべーからだよ」

 やべー、という具体性の欠片もないセリフだが、俺には分かった。遠山枝里子。このクラス二番目の美人。茶髪のボブで、顔は笹山とは逆のベクトルで、可愛い系の美人。正直笹山とはいい勝負なのだが、そこはオーラの差だろうか。男は深窓の令嬢みたいなの大好きだからな。

 「関係ねーよ」

 しかしそうでもないらしく、なぜか他の友人が首を振った。

 「男子が笹川をちやほやすると、男子グループと女子グループの接点が薄くなるじゃん」

 「遠山は女子のリーダーだしなー。……それに、遠山はお前が好きらしいぜ」

 友人たちの言葉に、俺は苦笑して、「冗談言うなよ」と、再び笹川を盗み見た。斜め後ろから女の子を見つめる。青春だね。

 「遠山と付き合っちゃったら?」

 「ありえねえよ。つーか向こうが好きか確定してねえだろ。それでコクったらかっこわりいじゃん」

 こういう話で盛り上がって、違ったらかっこ悪いからな。一応保険を打っておく。

 可もなく不可もなく、しかしつまらないやつと思われないレベルの回答がカメレオンとして生きるコツだ。誰を相手にしても相手色に染まること。けれど周辺に人がいて、会話を聞いていることを忘れず、周囲にも耳障りのいい返事をする。

 それが俺の処世術。嫌われない為の法則。

 

 この世は得点制のルールで回っている。他人から採点してもらって、その得点が自分の価値に加算されていく。俺みたいに自覚している人間は少ないだろうが、皆なんとなくは理解しているはずだ。だから人間は、友達を作ろうと焦る。馬鹿らしいなと思っても、孤独には勝てない。だから友達を作る。自分を偽る仮面を被って、人は人と同調する。

 そのルールを無視しているなんて、彼女は何を考えているんだろう。

 俺はふと、そんなことが気になった。

 

 話してみたいと思っていたが、それはトカゲが空を飛ぶことができないのと同じくらい叶わないこと。

 俺も生態系に深く組み込まれた人間だから。俺が彼女に話しかけているのを見られたら、生態系が乱れる。遠山が俺に恋愛感情を持っているというのであれば、なおさらだ。面倒くさい騒動に巻き込まれて、俺が恨みの対象になる可能性もある。それくらいさらっとできるようになれよ未熟者。

 誰に言うでもなく、俺はそんなことを頭の片隅でくるくる回しながら、かばんに教科書を詰める。今日は友人や女子達とのカラオケがある。流行りの曲は覚えたし、準備はオーケー。友人らは俺が掃除当番をしている間に行ってしまったが、今から行けばまだ途中で会えるだろう。かばんに教科書を全部詰めたか確認しようとした時、俺の机に影が落ちた。

 「優希くん、今日来るんでしょ?」

 突然目の前に現れた遠山に、一瞬頭が真っ白になった。しかし、俺の頭はすぐに遠山が好む色へと切り替わった。

 「あぁ、カラオケだろ? 行く行く」

 すると彼女は、形のいい唇を歪めて笑顔を作った。

 「あたしも行くんだ。優希くんとカラオケ行くの初めてっしょ?」

 一瞬頭を抱えたくなったが、頭の中で手錠をかけ、表情を笑顔に繕う。あの話を聴かされた後には、少しヘヴィすぎるマッチメイクじゃないか。

 「マジで? うわ、遠山普段なに歌うのか想像つかねー」

 「あたしも、優希くんが歌うの想像できないなぁ。好きなアーティスト誰?」

 互いに笑いながらそんなことを話して、教室を出る。ついてくる所を見るに、どうやら本当に来るらしい。

 「俺はあれ、最近だと『ワンオク』が好きだな」

 「『ワンオク』! いいね~。でもあれ難しくない?」

 「だからいいんだよ。喉潰れるくらい歌いたいからさ」

 「優希くん、意外とロックな感じなんだねえ。私は『スーパーフライ』かなぁ」

 「へえ。すげーじゃん」

 何がすごいんだか自分でもわからないが、とりあえず最近流行りの音楽を口にして、当たり障りのないことを言う。彼女はそれで楽しそうだし、問題ないか。

 「――あ」

 ふと、かばんの中の映像が脳裏によぎって、英語の教科書あったっけ、と不安になった。普段なら別に放って帰るが、今日は宿題を出されている。

 一応かばんを確認してみると、やっぱりない。

 「どうしたの?」

 「ごめん! 英語の教科書忘れたから取ってくる。先行ってて」

 合掌して、少し大袈裟に謝り、教室へと小走りで向かう。背中に「わかった。先、行ってるねー!」と聞こえた。

 

 遠山、あんま話したことないけど、俺のこと名前で呼んでたな。あんま名前で呼ばれるのは好きじゃないんだよな。もしかしたら、俺への好意は本当にあるのかもしれない。

 教室に戻ってくると、まず目に飛び込んできたのは、眩い夕日。その眩しさたるや、目に刺さったと言ってよかった。そして、教室に一人残っていた笹川。ヘッドホンをしながら、自分の席でケータイをいじっている。

 彼女を窺いながら、英語の教科書をこっそり回収。――俺はそこで、チャンスだと思った。今ならクラスの雰囲気なんて気にせず、彼女に話しかけられる。そう思ったら、俺の意識は好奇心という磁力に惹きつけられるみたいに、彼女へ向かって踏み出した。

 ケータイで何をしてるんだろう? そんなことを思って、覗き込んだ。

 画面に映っていたのは、ランドマークタワーだった。

 「……なんで?」

 なんて、俺は思わず呟いてしまった。その呟きでバレたのか、彼女は勢いよく振り向いて、俺の姿を捉えた。そして、ヘッドホンを外す。

 「……なんで、って。何が?」

 「……」

 何が? って聞き返したかった。しかし、何も言えなかった。初めて聞く彼女の声に、すこしばかり感心してしまって。寝起きに冷たい水で顔を洗った時みたいに、シャキッとする声だ。

 「なんでって、何に対して言ったのかしら」

 何も答えられない俺が、言われている意味を理解していないと思ったらしく、ジッと上目使いで俺を見上げながら、彼女は言葉を繋げた。

 「あぁ、いや……その。何で聞こえた? ヘッドホンしてたよな?」

 「ちょうど音楽が変わる境目で、無音だったから」

 ああ、なるほど。なんてタイミングのいい。――いや、悪いのか?

 「いま見てたの、待ち受けだよな? なんでランドマークタワーなんだ?」

 横浜のみなとみらいに立つデカいビル。どうも笹川とランドマークタワーが結びつかない。

 「好きだからだけど?」

 「え、ランドマークタワーが?」

 頷く彼女。ますます彼女がわからない。

 「……笹川って、ビルオタクなのか」

 「違うわよ。ランドマークタワーだけ」

 ……それはそれでニッチすぎやしませんか。なかなかいないんじゃねえか、ランドマークタワーのみのオタクなんて。

 「ま、待ち受けにするくらい好きなんだな」

 「かっこいいじゃない」

「ん、まあ、かっこいい、かな……」

 ダサくはないが……。そこまで真剣にランドマークタワー見たことがない。思わず頭に手が伸び、掻いてしまう。心理学的には逃避運動らしいが、頭皮とかけてるんだろうか。

 「……っていうか、あなた誰?」

 少し抗議したくなってしまったけれど、まあこれくらいは想定済みだ。話したことがないんだ。同じクラスだから顔を覚えて当然なんて、本当は当然じゃない。

 「俺は、三上優希。同じクラスなんだけど、覚えてない?」

 彼女は少し思案気に俺の顔と胸を見つめると、「ああ」小さく息を漏らす。

 「覚えてる。いつも人に囲まれてるわね。名前は初めて知ったけど」

 「そうですか」

 自分で言うのもなんだが、クラスで結構目立つ方なんだけどな。まあ、生態系を無視している彼女なら仕方ない。

 「あなた、いつも退屈そうにしてるけど、無理して誰かとつきあって、楽しい?」

 「……よく見てるじゃん」

 口笛を吹いて、彼女に握手を求めたい衝動に駆られた。名前は知らなくても、意外とクラスを観察してやがったんだな。

 「なんで周りの人が気づかないのか不思議。あなた、上手く立ち回ってるのね」

 俺は彼女を回り込んで、向かいの机に座る。こっちの方が落ち着いて話ができるからな。

 「俺から言わせりゃ、お前の方が不思議だけど。人に嫌われるのって怖くね?」

 「別に? 好いてもない人に嫌われても……」

 「わっかんねえなあ……」

 「こちらこそ」

 俺達はお互いを理解できていないらしかった。片方が人から嫌われたくないと思うカメレオンで、もう片方は人から好かれることなんてどうでもいい氷。対象的で正反対で、近くにいるのに遠くに見える。

 「笹川、いつもこの時間まで残ってんのか?」

 「ええ。誰もいない教室っていうのが好きだから。――今日は邪魔者がいるけど」

 彼女の刺々しい視線に、俺は苦笑する。正直すぎて、好感を持った。仲を繕う優しい嘘もいいけど、こういう正直さは貴重だ。最近正直になった覚えがない俺は、誠意を持って「邪魔して悪かったな。お前と話してみたかったんだ」

 「あらそう。別に構わないけど、なんで今まで話しかけてこなかったわけ? 最初の頃、群がってきた人たちの中にいなかったわよね」

 「……お前、ほんとに人に興味ないわけ? すげえよく見てんじゃん」

 「興味がないんじゃなくて、なんとも思ってないだけ。――記憶力は無駄にいいのよ」

 ……その割に俺の名前覚えてなかったじゃねえか。入学式の後で自己紹介しただろ。

 「お前、ホント冷たいな。氷みたい」

 「あら。氷は冷たくなんてないわよ。水から氷に変わる境目は零度でしょう。冷たいっていうのはそれから下、マイナスに入ってからを言うの。私は温かくも冷たくもない。――まあ、たしかに氷っていう喩えは、そういう意味で私に合ってるかもね。無関心だから」

 人が好きでも嫌いでもない。プラスでもマイナスでもない零。だから自分にはふさわしいと、彼女はそう言っているのか。

 「つうかお前、意外としゃべんな」

 「無口ではないのよ。喋る必要がなかったら喋らないだけ」

 頷いた俺は、改めて「邪魔したな」と片手を上げ教室を出た。別れの言葉を返してはくれなかったけれど、笹川と喋るチャンスを見つけただけでも満足だ。

 幸運を噛み締めながら、俺はカラオケへと向かった。

 相変わらずつまらなくって、とりあえず盛り上げるだけ盛り上げ、俺も申し訳程度に歌った。面倒くさいと思いながらも、俺はその輪からはずれる術を知らなかった。

 

 昼はいつもどおり人気者を演じ、放課後は笹山と一緒に誰もいない教室に残るというのが日課になった。あまりいい顔はしないが、そういう正直な感じが気持ちいい。

 机を挟んで向かい合い、彼女がヘッドホンで音楽を聞きながらカバーをした文庫本を読んでいる前で、俺は適当に、返事が返ってこないとわかっていながらも話をする。壁に向かって普段のストレスを解放しているような、そんな感じ。

 「なんで俺ってばこんな風になったんだろうなあ……。昔はもっと、純粋に人と仲良くなりたかったはずなんだけど。中学校くらいからなあ、こういう面倒なこと考えながら生きてんの」

 俺に興味も示さず、ずっと活字の世界に没頭して、音楽で現実と自分を遮断する彼女。俺はそんな彼女を利用して、ストレスを解消している。しかも絶対に秘密が漏れない保証付だ。こんな機会ってないよな。誰かに話さないと降りない荷物ってあるし。でも、それが誰かの荷物になる場合だってある。これは誰も損をしていない。悩みは自分にとって重荷であるように、他人にとってもそうなんだ。粗大ゴミみたいなもので、処分の方法は難しい。

 「でもよく考えたらさ、俺って昔っから、どうしたら人に好かれるのかなって考えてた気もするんだよな。小学生の頃からなんとなく。今が意識的にやってるだけで、昔は無意識にしてたんだと思うんだわ。でもいまさらになって、それが疲れてきてさ……。勝手なのかなあ俺」

 こうして自分を見つめ直して、だからどうなるというわけでもないけれど。この時間が楽しいと思っている俺もいるわけで。どれだけ届かない言葉を重ねても、その関係性がいいということだってある。プラスにもマイナスにもならない関係性。それを求めている俺がいるのだ。

 「ねえ、三上くん?」

 突然、笹川はヘッドホンを外し、俺に話しかけてきた。少し驚いたけれど、笹川だって俺に言いたいことくらいあるよな。

 「あなた、いっつも何を話しているのかしら」

 「……マジで聞いてないんだな」

 「聞いてたほうがよかったかしら」

 「いや、聞いてないことを望んで話してるから、いいんだけどさ」

 「それって、私が知ったらまずいことかしら」

 「別に知ってもかまわないけど、誰にも言わないでくれる?」

 「言う相手がいないから、入らぬ心配だわ」

 それもそうだ。なんとも言えず、笑顔で間を埋めて、俺は先ほとまでの独り言を、彼女に再び話す。リアクションなんてなく、相変わらず壁に向かって話しているみたいだけど、それはそれでやっぱり心地が良い。俺は普段よりもすこし饒舌になっていた。

 「ふうん。面倒くさいわね、あなた」

 「自分でもそう思う」

 「まあ人間なんて、悩み事を抱えるのが仕事みたいなモノだから、いいんじゃない」

 「じゃあ、笹川にも悩みってあんの」

 「あるわよ。遠山さんがなんだか私を目の敵にしてるみたいだけど、話したこともないのよね。理由知らない?」

 「……そりゃ、あれだ。嫉妬ってやつ」

 「嫉妬」

 パズルのピースを当てはめて、それが合わなかったのか、彼女は首を傾げた。

 「わからないわね。私みたいな小市民に」

 「お前がシンデレラだから問題なんだろ。お姫様になれるチャンスを、興味ない風に蹴飛ばしたからな。それに今、遠山が座ってる。お前の足跡がついた玉座に」

 「面倒くさい……」

 「そういうなよ。生態系ってやつさ」

 「あと、あなたはクサい」

 「はあ?」

 「人のこと捕まえてシンデレラって、恥ずかしくないわけ」

 頭を掻く。逃避運動。

 「んだよ。別にいいだろ。お前にはこれくらい言わないと伝わらないからな」

 「名前的には白雪姫がいいんだけど」

「お前こそ、自分のこと白雪姫なんて図々しいな」

 歯車がかちりと合って、俺達は互いに小さく笑った。初めて共に笑いを作り、お互いを理解したような気になった。

 

 昼はカメレオン、放課後は素の自分。そんな二重生活もなんだかんだと二ヶ月を迎えようとしていた。なんだか前よりも楽にカメレオンでいられる気がするのは、きっとガス抜きの方法を見つけたからだ。

 そうなるとさすがの俺も、笹川が気になり始めていることはわかっていた。

 「ねえ、優希くん」

 帰りのホームルームが終わって、誰にも誘われていなかった俺は、今日も笹川の所に行こうと思っていた。そんな時、帰ろうとするやつや教室でたむろするやつの流れの中で、遠山に話しかけられた。

 「なに。どうした?」

 「話あるんだけど、いいかな」

 頷いた俺は、教室から人がいなくなるのを待って、遠山と二人きりになった。正確には笹川もいるんだけど、やつはヘッドホンをして本を読んでいる。俺たちの話が聞こえることはないだろう。

 嫌な予感で胸がいっぱいになって、なんでもない話ならいいな、と思ったのだが、こんなところまで連れてきてそれはないだろうなってわかっていた。

 「優希くん、私と付き合ってください」

 ああ、やっぱりな。

 告白を受けて、こう思うとは思ってもいなかった。多少嬉しいと感じても、それを受けることはできなかった。しかしなんて言おうか迷っていると、彼女は俺の表情からなにかを察したのか、「私じゃダメなの?」と言ってきた。

 「ダメ、っていうか、そうじゃないんだ。俺にはもったいないよ」

 「どうして? 私が優希くんじゃなきゃダメだって言ってるのに、もったいないとかあるわけ?」

 「いやほら、だって、お前人気あるじゃん。俺よりいい男とかいるしさ、俺みたいなチャラいやつじゃなくても」

 ムダだとわかっていても、俺は彼女が自分から諦めてくれるように口を動かしていた。俺は彼女と付き合えない。それだけはハッキリしているのに。

 「……優希くんって、なにか断った事ある?」

 彼女の泣きそうな目に、俺の胸が思わず跳ねた。何かを断ったこと。あまり記憶にはなかった。遊びの誘いを断ったことはないし、よっぽどのことでなければ大体のことは首を横に振ったことはない。それは断ったら嫌われると思ったからか。

 「はっきり断ることが、相手の為になることだってあるんだから」

 俺は腹の底に溜まった悪いガスを追い出すみたいに、ため息を吐いた。

 「……ごめん遠山。俺、お前といても無理しちゃうから。お前とは付き合えない」

 「じゃあ、笹川さんだったらいいわけ?」

 彼女の視線が、しっとりと濡れたものから、刺々しい乾いたものへと変わる。

 「そうだな。俺は笹川が好きだ」

 頷いて、ちらりと笹川を盗み見た。相変わらずヘッドホンをして、俺たちの話なんて聞いていない。好都合だ。俺はこんな風に、彼女への思いを伝える気はない。

 「どうして? あんな女、どこがいいわけ? 見た目なの?」

 首を振る。俺は見た目なんて信用しない。他人を測るパロメーターの一つではあるが、それだけで人をスキになったりはしない。

 「お前といても、俺は無理をする。疲れるんだ。きっと」

 そう言って、俺は頭を下げた。精一杯の誠意と、本音を込めて。

 「これが、初めての本音だ。ごめん」

 「……そっか、ありがとう」

 なんでありがとうなんだ。

 そう聞こうとしたが、遠山はそれよりも早く教室から走り去っていた。初めて素直な言葉を彼女に言ったような気がした。言おうと思えば言えるのに、どうして最初から素直になれなかったのか。まあ、素直になってたら、そもそも遠山が俺の事を好きになっていたかどうかもわからない。

 俺は遠山が走っていった道に頭を下げて、笹川の前に座る。

 相変わらず聞こえてないみたいで、俺はまた独り言。

 「遠山には悪いことしちゃったかな……」

 いや、気持ちがないまま付き合ったって、もっと相手を傷つけるだけだ。今断っておくのが最善。

 「俺さ、友達や遠山と遊ぶより、笹川とこうしてる方が楽しいんだよな」

 面倒くさいしがらみもなくて、素のままでいられて、無理しなくてもいい。だからきっと

「俺、笹川のことが好きなんだな」

 口にしてみれば、そういうことなんだって気づいた。この告白だって聞かれていない。それでいい。元からこの言葉を聞いてもらうつもりはない。

 「今日はこれで帰るわ。話聞いてくれてあんがとな」

 そう挨拶をして、教室を出る。

 

 どことなく遠山がそっけなくなった。毎日の様に何かしらで話しかけてきたのに、告白を断った翌日から、なにも言ってこなくなった。友人たちにはもちろん、なにかあったのかと聞かれたが、俺から言っていいこととも思えず、「ちょっと喧嘩した」とだけ言っておいた。いつか笑い話になる日が来るといい。

 今日も放課後は、笹川の所へ行くことにして、友人の誘いを断った。今までほとんど断ってこなかったからなのか、ありもしない事情をおもんばかってくれた。

 帰りのホームルームから寝ていた笹川はまだ起きておらず、俺はいつも通り彼女の前に座り、起きるのを待った。ふと、笹川は普段、ヘッドホンでどんな音楽を聞いているのか気になった。今までなんとなく訊いたことがなく、これはもしかしてチャンスではないかと、バレないようにゆっくりヘッドホンを外す。

 形のいい耳が露わになり、俺はそのヘッドホンを自分の頭に装着。

 

 何も聞こえなかった。

 

 ……寝ているから音楽を切っているのか? そんなに計画的な睡眠だったのだろうか。俺は、ヘッドホンから伸びるコードを引っ張って、音楽プレイヤーから音楽の趣味を探ってやろうと思ったら、ヘッドホンの先にもプレイヤーはない。

 「……こいつ、もしかして、いままで音楽聞いてる振りしてたのか」

 そっと彼女の頭にヘッドホンを戻して、俺は考えてみた。もし、こいつが今までの言葉を全部聞いていたら、俺の愚痴だって実は全部聞いていたことになる。もちろん、あの告白も。なんでまたヘッドホンで音楽聞いてる振りなんかしてたんだろうか。

 そう気になって、机に突っ伏している彼女をじっと見ていると、ゆっくり頭を上げて眠そうな目で俺を見る。丁寧にもヘッドホンを首にずらし、「いま、何かした……」と不機嫌そうに言う。

 「いや、なにも」

 「そう。……ああ、今日も聞かれたくない話? ヘッドホンしておくから、適当に話せば」

 「ああ、そうする」

 ヘッドホンを頭に戻して、彼女は再び活字の世界へ。

 人に興味ないとか、自分のことを氷がふさわしいとか。どう考えても溶けてきてるぞ、お前の氷。

 そんな時、俺の心に一つの提案が浮かんできた。すこし恥ずかしいが、それを実行してみるのも悪くない。こいつが聞いてない振りをしているっていうなら、俺も聞かれてるとは意識せず、こっ恥ずかしいことたくさん言ってやろう。

 どれだけ笹川が可愛いかとか、俺がどこを好きになったのかとか。

 そうしていつか、夕日に負けないくらい顔を真っ赤にして、笹川が『あなた、一体どういうつもり?』とか根負けするのを目指すのだ。

 プラスにもマイナスにもならない関係から、プラスになるよう。

 あいつの心の氷を溶かすまで。

 

 了