Whirlwind
福江てん
今日の空もぐんと青い。思い切り息を吸えば、肺の底までしんと透けた空気が満たされる。
爽やかでしっとりとしたこの時節の空気が、ぼくはあまり好きじゃない。
「ねえ」
吸い込んだ息を声とともに吐き出す。
傍らにあるひとからの返事はない。
「今年もまた忙しくなるの」
やわらかな土を踏みしめて、一足ひと足歩いている。林立する木々の肌はごつごつと温かそうに見える。
すっかりべにいろに変じた稚児の掌のような葉が音もなく落ちた。図ったようにくるくると落ちて、わずかに斜めに流れた。
傍らのひとはふわりと舞い上がってぼくの身体に絡みついた。うなじに肩に、ふれたところにちりちりと気配を感じる。
水中の魚さながらに、たおやかに清浄な空気の中を泳ぎまわった。ぼくを取り巻いて。
そのたびに、ひらひらひら、ひらひらひらと薄い葉々がそちこちの枝から舞い乱れる。
ああ、さびしい風情だ。
「そうなんだね」
ぼくのことばに、目の前に舞ってきた彼のひとはええ、とでもいうように目を瞬かせた。透明な、揃った睫毛が二度、三度とぱちぱちする。尤もそれがぼくのことばへの返事かどうかは分からない。それはいつものことだ。
「ずい分と仕事熱心だよね」
ええ。それがわたしのつとめだもの。
いままでも、これからも、ずっと――
そんなことをいうかのように、彼のひとはぼくの首に腕を投げかけた。目の前にあるふたつの透きとおった頬を両手で包むと、ぱちぱちと泡のはじけるような感触がした。
彼のひとの纏った薄物がさやさやと音を立てる――ような気がする。山鳥のしだり尾のように優美な裳裾が、髪が、スローモーションのごとく翻るたびに、赤や金色に染まった葉がそこらじゅうで弄られて飛んでいく。無音の林の中で、質量の薄いそればかりがひらひらと舞ってゆくのは、ある意味退廃的だった。
「きみがいないと、寒くなるね」
ぼくがそういうと、彼のひとは身体をわずかにふるわせてわらった。こぶしを口元にあてがって、音もなく、屈託なく、むじゃきに笑う。
赤い葉がぱらぱらと枝を離れて、くるくると流れてゆく。
しようのないひとね。
またたんぽぽのさくころになれば、いくらでもあいしてあげるのに。
まるでそんな風に言うかのような喉は、じっさいぼくには何のことばも届けない。わずかに綻んだその口元が、声を紡いだことはない。
ぼくの身体に絡めた、蜘蛛の糸のようにしなやかな腕をするりと抜いて、彼のひとはそのまますこしだけからだを離した。
さようなら、つぎのはるまで。
わたしのかわいい林檎酒さん――
彼のひとはそんなことをいうかのようにぼくの喉元をゆびの先でつっとなぞって、ふとぼくから身を引いた。
「待って、――」
呼び習わす名のない彼のひとを呼びとめることはできなかった。自分のいかにも不健康そうな白い指が空を掴む。
一際つめたい風がひゅうと吹く。
彼のひとは秋のうすい空気のうちに溶けて消えてしまった。
Fin.